タルホ・テレスコープ(2)2010年03月26日 20時49分02秒


上の写真は、『子供の科学』に載った広告です。
以前、このブログに似たような広告を載せましたが、上はまた別の号です(昭和9年3月号)。写っているのは同じ商品。
これは2インチ(5センチ)径の製品で、定価は1台22円となっていますが、別のページの広告を見ると、さらに大型の製品もあって、3インチは40円、4インチは120円、5インチは160円、6インチは200円となっています。

足穂が昭和9年頃に買った「直径三吋ばかしの」「ニュートン=ハーシェル式反射鏡」というのは、時期的に見ても、名称から言っても、ここにある3インチの望遠鏡に間違いないと思います。

で、これを使って足穂はどんな天文ライフを楽しんだのか?
昨日の引用文(「愚かなる母の記」)によれば、まずこれで月世界の驚異を覗き、また周囲の人にも見せたようです。また、最近、草下英明氏の『星の文学・美術』(れんが書房新社)を読んだら、次のような引用がありました。足穂が昭和15年(1940)頃に書いた「山風蠱(さんぷうこ)」の一節です。

   ■  □

私は物干場へ反射鏡を持出して、毎晩狙ってみたが、
的は掴まれ相になかった。私にはアルコホル分が入って
ゐた所為もあらうが、此仕事は恐ろしく陰気なものに考へ
られた。一つの光点さへも認められない。常に視界は
真暗であった。どうかした拍子に微かな光の條が、上下
左右に飛交ふばかりであった。

私はこれでは腰を据えねばならんと考へ直した。そして
一週間目にやっとオリオン三星中の一つが捉へられた。
こんな仕事には手摺や竹竿を利用して位置を支へさせて
あるが、そんなにしてさへ静止してはゐない。絶えずに
ゆらめいてゐる。こんな時表を貨物自動車が通ったり
すると、忽ち何処かへけし飛んで了って、再びそれを
捉へる為には五分間を要した。

三つの星を順次に辿って行って、私は遂に青い毛虫
みたいに毳立っている星雲を掴えた。西の涯に黄いろく、
遠い電灯の傘みたいな土星を見付けた。横倒しになって
大きく落ち懸った白鳥の嘴の所で、互に顫へてゐる
橙色と緑玉色、そのジュリエットとロメオの姿を垣間見した。

   ■  □

何だか、対象を視野に入れるのに、ものすごく苦労していますね。
3インチ望遠鏡はどうだったのか不明ですが、少なくとも2インチ望遠鏡は写真で見るかぎり、ファインダーらしきものがなくて、これで目標を導入するのはかなり大変そうです。
(それにしても、オリオンの三つ星を捉えるのに1週間を要したとは、望遠鏡の設計か、足穂の技量か、あるいは彼のアルコール摂取量か、いずれかに重大な問題のあったことを窺わせます。)


さて、月につづいて眺めたのは、オリオン座の大星雲、土星、そして白鳥座の二重星・アルビレオでした。この辺の選択は極々まっとうです。加えて、その叙述が<怪人>の筆にしてはウブウブしい。

これは草下氏の本にはっきり書いてあることですが、アルビレオをロミオとジュリエットに喩えたのは野尻抱影が先だそうです。足穂は元より抱影の熱心なファンであり、上の文章には抱影節が影響しているらしい。(年齢でいうと抱影の方が15歳年長。ただし、抱影は遅蒔きの人で、初の主著『星座巡礼』の刊行が大正14年、40歳のときですから、一般読書界へのデビューは足穂の方がわずかに先行しています。)

(この項さらにつづく)

【3月27日付記】
あ、広告をよく見ると、ファインダーは3円とちゃんと書いてありますね。別売だったわけです。で、昨日の記事によると、足穂は本体とサングラス、それに別売らしい接眼レンズを買ったことは書いていますが、ファインダーについては触れていません。その必要性を理解せず、買わずに済ませてしまったんでしょうか。

コメント

_ S.U ― 2010年03月26日 22時20分42秒

足穂は、感性の人であり、アルコール中毒でもありましたが、行き当たりばったりのふらふらの人では決してなかったことが伝わってきます。苦労してもなお天体を導入したのは、こと人間の精神の琴線に触れる事項については決してないがしろにしない、という強い気持ちがあったのだろうと想像します。(そんな精神性を重んじる人が、そもそもなんでここまで酒に溺れるのかという問題が別に生じますが)

_ 玉青 ― 2010年03月27日 07時44分00秒

ありがとうございました。
ようやく貴信、記事に掲載できました。

  +

足穂は子供の頃から、異様な熱気で、いろいろな物作りに取り組んでいましたね。船や飛行機の模型やら、標本棚やら、海戦場面のジオラマやら。結果的に成功したものも、失敗したものもありますが、その工夫の過程において、常に極端なこだわりを見せていました。ああいう気質や行動パターンを、この天体観望の一件にも感じます。

強い意志の人…と言うとほめすぎの感もありますが^^、奇妙なこだわりの人であったのは確かでしょう。

アルコールはたぶん、精神の人であり、感性の人だからこそ溺れたのかなあ…という気がします。まあ、お酒をあおる人が、みな精神の人・感性の人というわけでもないでしょうが、足穂の場合は明らかに精神と現実の噛み合わせが悪かったので、一種の向精神薬として常用していたように思います。

_ S.U ― 2010年03月27日 08時48分01秒

>お酒をあおる人
 そういうレッキとした理由があってあおっても、健康を損なったり、信用をなくしたりするわけですから、「酒恐るべし」です。
 足穂の場合は、母親の死以後に最悪の状態から脱却したのだと思いますが、そこには何らかの(単純な禁酒とは違った)「強い意志」が働いたのではないかと私はみています。

_ ガラクマ ― 2010年03月27日 14時42分09秒

1月19日の「戦前の少年向け天体望遠鏡事情(2)」のレスでもよかったのですが、同時代を生きた森久保氏の望遠鏡について、以前友人より情報を頂いていたので、ご紹介いたします。

以下の7cm反射(昭和7年製とのこと)が足穂氏の望遠鏡ではなかったでしょうか?

(以下 引用)***************************

<反射> http://yumarin7.sakura.ne.jp/telbbsp/img/2733_1.jpg
ハーシェル・ニュートン式で口径は誌上広告では7㎝ですが実際は65㎜、焦点距離は800㎜、主鏡裏面のサインはなく、残念ながら中村要鏡ではないようです。斜鏡の代わりにダイアゴナルプリズムが使ってあります。
上下微動は後年、おそらく清原光学により付加されたと考えられますが、なぜかこの微動棒が短く、天頂までいかないうちに抜けてしまいます。
再塗装されていたため、オリジナルの塗色がわからなかったのですが、中野繁先生の証言によると白とのことでしたので、まあそんなところだろうと思っていました。で、今回再塗装を剥離させたところ下からオリジナルの色が出てきました。やはり白一色でした。

<屈折>  http://yumarin7.sakura.ne.jp/telbbsp/img/2733_2.jpg
もともとは3.8㎝のレンズが入っていたのを、まもなく5㎝の対物レンズを購入し交換したということが「日本アマチュア天文史」に記されています。こんな昔のものでもボーグみたいに対物交換できたのですね。
斜めにカットされたフードは原田光次郎氏の作らしいです。
三脚架台部分は木製でロクロ挽きで作られた美しいものです。
三脚は欠品しています。
ファインダーは真鍮製の立派なもので、両機共用してたらしいです。

_ 玉青 ― 2010年03月27日 21時02分05秒

○S.U様

>酒恐るべし

御意。まさに恐るべし、慎むべし、です。
アルコールは心理的依存と同時に、強固な身体的依存をも作りだすので、酒毒から抜け出すのは容易ではありません。真の地獄を見る人も少なからずいるようです。

もし足穂が終生酒を断っていたら…?
文学的営為はストップした代わりに、足穂個人としては一層幸福な人生だったでしょう。
まあ、そのことをどう評価するかは、人によってさまざまでしょうが…。ちょっとした「人生観のリトマス紙」かもしれません。


○ガラクマ様

情報をありがとうございました。
森久保氏の望遠鏡のことは気になっていましたが、どうもそれっぽいですね。

1月21日の記事(http://mononoke.asablo.jp/blog/2010/01/21/)にも書きましたが、森久保氏の反射望遠鏡の値は47円だったそうですから、価格が昭和9年と同じとすると、本体が40円、ファインダーとサングラスが計5円、さらに別売アイピースを買うと、ちょうどそのぐらいになりますね。

やや疑問が残るのは、7cmと3インチ(7.5cm)との差ですが、お知らせいただいた情報によれば、鏡径は7cmどころか、さらに小さかったそうですから、広告で云う3インチというのは、主鏡の直径ではなく、鏡筒の差し渡しを意味したのかもしれません。(供給側としては、少しでも大きく相手に印象付けたいわけですから、その辺の機微はよく分かります)。
とすると、足穂が「直径三吋ばかしの円筒」と言ったのは至極正確な記述であり、しかも「外側を真白に塗り上げられた」というのも、森久保氏の望遠鏡の特徴と完全に一致します。

どうも、これはもう決まりですね。
なるほど、足穂が物干場で必死に覗いていたのは、コレでしたか…。
ひょっとしたら、これは足穂研究史における新知見かもしれません。

_ S.U ― 2010年03月28日 10時01分17秒

玉青様、ガラクマ様、足穂の望遠鏡の謎解きの解明どうもありがとうございます。新知見に私も貢献できたのであればうれしいです。

 「美しき穉き婦人に始まる」には、望遠鏡を買ったときの状況も書かれていて、値段はわかりませんが、古着屋の開店資金の借金の返済を借金で補っているうちに(借りすぎて?)お金に余裕が出来たので買ったもののようです。さらに、彼が夜空に星座を覚えたのは、この少し前(昭和7年頃か)でその時にはすでに「星図」を持っていたとあります。

 彼は、10代後半から30代前半に書けて、切り紙細工的な天体を対象とした作品→ポン彗星の幻想→実際の星座を憶える→望遠鏡の購入という道筋をたどったことがわかります。

_ 玉青 ― 2010年03月28日 19時59分21秒

こちらこそ、大いに過程を楽しみました。
ありがとうございました。

それにしても、タルホの星への親しみ方は、その順序からして、いかにも特殊ですね。野尻抱影と初めて面会したとき、両者の呼吸がまるで合わなかったのもうなづけます。

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