驚異の部屋を持つ2010年03月05日 21時58分54秒

例年のことですが、3月はバタバタする月で、今年もやっぱりバタバタしています。
そんな中で、あえて暇そうなことを書いて、暇な気分を味わおうと思います。

  ★

驚異の部屋というのは、見て良し、作って良し。
何にせよ、身近にあれば云うことなしです。

そんな今様ヴンダーカンマー作りを志す人は、海外にも少なからずいるようで、そういう人の部屋を拝見すると、そこに嗜好の違いはあれども、なんだかとても親近感を覚えます。

医学・解剖系は、私のちょっと苦手な分野ですが、その手の世界に特化したブログに、Morbid Anatomy(http://morbidanatomy.blogspot.com/)があります。ここは以前Tizitさんに教えていただいたサイトで、前にもちらとご紹介しました。

そのブログ主である、ニューヨークのブルックリン在住のグラフィック・デザイナー、ジョアンナ・エーベンスタインさんのアトリエが、WEB上で紹介されているよ…というのが今日の話題です。

■Morbid Anatomy Library
 http://newyork.timeout.com/articles/halloween/79539/morbid-anatomy-library

ヴンダーカンマーというほどの稠密感はなくて、割とあっさりしている印象も受けますが、それでもなかなか安楽そうな雰囲気です。博物系の品はとりあえずそのままとして、ここに並んでいる解剖系の品を天文系のアイテムに置き換えたら、「天文古玩」的には言うことなしですね。

記事を読むと、珍奇コレクション作りを目指す人に向けた、エーベンスタインさんからのアドバイスが載っています(以下、適当訳)。

 ◆◇◆

1 常に目を皿のようにしてモノを探すこと。「全く何もなさそうな場所
も含めて、とにかくどんな所でもよーく見てみましょう。捨てられている
モノも怖れずに!」

2 「一般人」の意見には決して耳を貸さないこと。「どんなに他人が
気持ち悪いと思おうが、自分の感じ方に素直にふるまいましょう。」

3 自分も死ぬという事実に向き合うこと。「死について思いを巡らす
ことは、良い決断を下す助けになります。私は飛行機に乗るのが怖いん
ですが、これは私の生き方そのものにも影響を与えています。もし死に
ついて考えることいがなければ、私はたぶん下らない仕事にかかりきり
になっているでしょうね。」

4 エーベンスタインさんの力を借りることもお忘れなく。「当ライブ
ラリーの開館時間に是非お出でください。これらの高価な本は全部私が
買ったもので、ここにはよそではちょっと見られないアヤシイ世界があり
ますよ!」

 ◆◇◆

1番目と2番目の助言は、「驚異の部屋」作りにおいて大切なポイントでしょう。

というよりも、今ふと思ったんですが、3番目の助言も含めて、これは千利休が言いそうなセリフじゃないでしょうか。驚異の部屋の要諦は茶道の極意に通じたり。
そう言えば、東大の「驚異の部屋展」の企画者・西野嘉章氏が、展覧会をお茶会に譬えていたのを思い出しました(http://mononoke.asablo.jp/blog/2008/08/02/3669587)。

価値はモノに備わっているというよりも、人間が積極的に付与するものであること。そして人間の有限性が、その価値を一層豊かならしめていること。それを鋭角的に表現したのが「驚異の部屋」であり、茶の道なのではありますまいか。

コメント

_ S.U ― 2010年03月07日 05時20分39秒

エーベンスタインさんもおっしゃっているかどうかわかりませんが、私ならそれに加えて、

「珍奇な物を探すときにはひたすら自分の勘を信じましょう」

 自分の勘を信じて探して良い物が見つかればとてもハッピーですが、見つからなくてももともとです。勘が裏目に出て大物を見逃したとしても、それは知らずにすむので、とてもアンハッピーになることはありません。
 一度でも大物を見つけられたら、自分は勘の良い人間かも、と考えて、その後もその戦略を継続することが出来ます。さらに2度目の大物を見つけられでもしたら、自分には特別な才能があるのではないか、という妄想を抱いて一生を幸せに送ることも出来ます。
 千利休の茶の極意に無理に結びつけるなら、「一期一会を生かした人生」ということでしょうか。

_ 玉青 ― 2010年03月07日 10時39分34秒

「勘」はすこぶる大事ですね。
そして、勘の大敵は欲目です。
本人は勘を働かせたつもりでも、実は欲にかられているような場合は、簡単に失敗を犯してしまうようです。

まあ、「掘り出し物狙い」などというのは、最初から欲に突き動かされているので、多くの場合失敗するわけですが、人間は失敗の記憶よりも成功の記憶が残りやすいので、結局同じ失敗を繰り返してしまうと。

ただ、失敗を恐れているうちは、真のコレクターにはなれないのも一面真実なので、「小欲を捨てて大欲につく」、「肉を切らせて骨を断つ」という勇猛な気構えが蒐集道には求められるのでしょうね。

(一般人である私には、とても無理ですが・笑)

_ S.U ― 2010年03月07日 18時33分23秒

>まあ、「掘り出し物狙い」などというのは
そういや、「今日はひとつ掘り出し物を...」などと出かけたときは、掘り出されたためしがありませんなぁ。
 まあここは釣り人の心境で、何も得られない日には捜すことこそが楽しみであると開き直り、ついに見つけた日には、昨日までの不遇は今日のためにあった、と思わにゃあいかんです。

_ Tizit ― 2010年03月07日 23時11分10秒

ごぶさたしております。

蒐集の世界は全てそうでしょうが、集めて集めてとにかく集めて、その先にやっと何かが見えてくるものなのでしょうね。

エーベンスタインさんの本棚、それは壮観でした。画像を掲載しなければと思いつつ月日が経ってしまいましたが、近々必ずや。

その前に、デロールについて個人的に驚いたことがありまして。Sigur RósのフロントマンであるJónsiのソロライブのステージデザインは、火事になったデロールを収めた本からイメージを得たとのこと。まさか、この二者の交わる日が来るとは…。インタビューから文章を起こしてみたのですが、私では聞き取れないところがあり。玉青さんのお力をお借りできれば幸いです。

http://imaginarybeings.com/wordpress/?p=527

_ 玉青 ― 2010年03月08日 22時08分50秒

○S.Uさま

全てのコレクターがそうだというわけではありませんが、「捜すことこそ楽しみ」という人は、結構いるようですよ。つまり、モノ自体よりも、それを手に入れる過程が楽しみという。で、S.Uさんの言われるように、悟りの境地としてそういう心境に達した人は問題ないんですが、そうでない人はかなり危ないです。買い物依存症の人なんかは、買うという行為が目的化してしまって、いくら買っても満足できないそうですが、コレクターでも、コレクトするという行為が目的化して、目が血走って来ると、どうもはたから見てあまり楽しそうではないですね。まあ、そうなると「捜すことが楽しみ」というよりは、むしろ「苦しみ」になってくるわけで、私自身少なからず自戒が必要です。

ボウズでも気にせず糸を垂れる枯淡の境地には、まだまだです。。。


○Tizitさま

こんにちは。またまたお名前を勝手にお出しして申し訳ありません。

エーベンスタインさんの本棚、ものすごく期待していますので、ぜひよろしくお願いいたします。ご本人が“arcane media that isn’t readily available elsewhere!”と言われる、その中身とは…?

ときにデロール関連の話題。
<不思議な交錯>って、折々ありますね。
でも、少なくともTizitさんの中では2つの世界が結び目を作っていたわけですから、そういう実例がある以上、遠いように見えて、実は両者は近かった…のかもしれません。(ご紹介の動画を拝見しましたが、私のお粗末な耳では、やっぱりよく聞き取れませんでした。)

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