魚の口はどこにある ― 2010年06月07日 20時23分35秒
(寄り道のおまけ。昨日の続きです。)
「魚の口」の由来を知りたいと思いました。
ロッキャーの本では典拠なしに、「前からそう呼ばれている」みたいな書き方になっていましたが、同時代の本に何冊か当っても、あまり出てきません。須藤氏がロッキャーと共に参照したというサイモン・ニューカムの本にも出てこないようです。
もちろん、これは一種の愛称で、学問的に正式な呼び方ではないのでしょうが、愛称にしてもあまり普及しているとは言い難い。アマチュア向けの観測ガイドの古典とされる、トーマス・ウェッブの『普通の望遠鏡向きの天体 Celestial Objects for Common Telescope」(1859)や、C.E.バーンズの『宇宙の驚異1001個 1001 Celestial Wonders』(1929)にも出てこない呼称です。
で、今のところ私が目にした唯一の例は、ウィリアム・ヘンリー・スミスが1844年に出した『天体の回転A Cycle of Celestial Objects』です。これは趣味の天体観測ガイド本の元祖とされ、特に、観測目標一覧をまとめた下巻は「ベッドフォードカタログ」と通称され、この部分だけ現在でもリプリント版が流通しています。
その「ベッドフォードカタログ」の「オリオン座θ1」の項目に、「オリオンの剣のさやの中央にある、巨大な星雲から成る“魚の口”(the “Fish’s mouth” of the vast nebula in the middle of Orion’s sword-scabbard)」という表現があり、その後の方で「魚の口と呼ばれる部分、及び有名なトラペジウムは、前図のように大まかにスケッチすることができる」として、下のような図を掲げています。
現在では「翼を広げた形」に見なされるオリオン星雲ですが、スミスは両翼の間の凹部を「口」に見立てたわけですね。
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スミスも本の中で書いていますが、オリオン星雲の形が本格的かつ徹底的に調査されたのはさして古いことではなく、スミスの友人でもあるジョン・ハーシェル(ウィリアム・ハーシェルの息子。以下ジョン)が、南アフリカで1830年代に行った業績が、その口切のようです。ジョンは1834年から38年までケープに滞在し、南天研究に取り組みましたが、オリオン星雲もその対象の1つ。南アフリカは故国イギリスよりもはるかに観測条件が良かったので、オリオン星雲の形状に何か目に見える変化が生じているのかどうかというテーマに取り組むにはうってつけだったのです。
ジョンは1833年に『天文学要論 A Treatise on Astronomy』という、天文学の啓蒙書を出しましたが、ケープから帰国後にこれを増補して『天文学概論 Outlines of Astronomy』(1849)として新たに出版しました。
下に掲げる図のうち、上の図は『要論』の挿絵で、イギリスでのスケッチに基づくものです(ただし後の1845年版から取りました)。そして下の図は『概論』のもので、南アフリカでの成果が存分に生かされています。
ジョンは『概論』の中で、オリオン星雲についてこう書いています(『要論』にはない記述)。
「形状の点で、その最も明るい部位は、鼻口部から突出した一種の吻(ふん)を伴った、何か怪物めいた動物の頭部および大口を開けた顎との類似を思わせる。(In form, the brightest portion offers a resemblance to the head and yawning jaws of some monstrous animal, with a sort of proboscis running out from the snout.)」
なんだかオドロオドロしいですね。
ジョンは観測成果を随時、王立天文学会等で報文発表していたので、この表現ももっと早くから使っていたかもしれません。仮にそうだとすると、スミスの「魚の口」のルーツは、ジョンの「怪物の口」じゃないでしょうか。「お魚の可愛いおちょぼ口」というよりも、グワッと喰らいつくようなイメージです。
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