ジョバンニが見た世界…小さな望遠鏡(3) ― 2013年01月13日 11時26分47秒
さて、ジョバンニが眺めたであろう望遠鏡の現物を見に行きます。
これまでの予備的考察から、それは真鍮製の古風なシルエットの望遠鏡で、丈も低い卓上式機材だろうと推測できます。
そう聞いて思い浮かべるのは、先日取り上げた下のような望遠鏡で、これはプラネタリウム番組「銀河鉄道の夜」に出てきたCG画像です。
この望遠鏡は屈折式として造形されていますが、昔の屈折望遠鏡はおしなべて長焦点でしたから、口径はともかく、鏡筒がこんなふうにコンパクトで愛らしい姿をとることは、現実にはないでしょう。本当なら、もうちょっとスラリと長い感じになるはずです。
思うに、このCGを手がけたKAGAYA(加賀谷)氏は、18世紀に流行ったグレゴリー式反射望遠鏡を元ネタにして、この絵を作られたのではないでしょうか。
(James Short作のグレゴリー式望遠鏡。グリニッジ海事博物館のサイトより。
http://www.rmg.co.uk/visit/exhibitions/telescopes-redisplay/gallery/?item=11104)
http://www.rmg.co.uk/visit/exhibitions/telescopes-redisplay/gallery/?item=11104)
グレゴリー式望遠鏡は、下の図のような光路を描くため、主鏡の焦点距離よりもぐっと短い鏡筒長で済みます。この形式は、スコットランドの光学家、James Short(1710-1768)の卓越した技能(そして商才)によって、18世紀いっぱいもてはやされ、当時は小口径望遠鏡といえばグレゴリー式というイメージがありました。
(ウィキペディアよりグレゴリー式望遠鏡の光路図。http://en.wikipedia.org/wiki/Gregorian_telescope)
おなじみの屈折望遠鏡が、パーソナルユースの小望遠鏡市場で巻き返しを図ったのは、世紀をまたいで19世紀以降のことでしょう。
「銀河鉄道の夜=1912年」説に立てば、グレゴリー式望遠鏡はすでに遠い過去の存在であり、当時にあっても骨董品的扱いをされていたと思いますが、だからこそ古風な星座絵との取り合わせが生きてくるわけで、時計屋の主人はそこを敢えて狙ったのではないでしょうか。
(しかし、この時計屋が地方都市にありがちな、「時計・眼鏡・宝飾」を一手に商う店だとしたら、望遠鏡も現役の商品として陳列してあったのかもしれず、上の推測はあくまでも1つの可能性、仮説です。)
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さて、時計屋の店先を再現するには、私の手元にも、その現物がなければなりません。しかし、アンティークのグレゴリー式望遠鏡は、言うまでもなく非常に高価です。いかに円が強含みでも、ざっと数十万円、状態が良ければ100万円以上はするでしょう。
しかし、ここであきらめてはならず、貧は貧なりに、いじましく頑張れば、自ずと道は開ける(こともある)ものです。
(この項いじましく続く)
ジョバンニが見た世界…小さな望遠鏡(4) ― 2013年01月14日 13時07分30秒
新成人の皆さん、どうもおめでとうございます。
今日は一日雨のようですが、ただでさえ騒がしい世の中、心を静めて、柔らかい雨の音に聞き入る成人式も、なかなか良いかもしれませんね。
★
さて、いじましく頑張った末に手に入れたグレゴリー式反射望遠鏡。
今日は一日雨のようですが、ただでさえ騒がしい世の中、心を静めて、柔らかい雨の音に聞き入る成人式も、なかなか良いかもしれませんね。
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さて、いじましく頑張った末に手に入れたグレゴリー式反射望遠鏡。
中央に斜立しているのがそれです。せっかの機会ですから、この際ちゃんと写真に撮ろうと思ったのですが、現状だと身体を捻って、やっと片手が届くだけなので、持ち上げることができません。手前にある雑多なものを片付ければいいのですが、非常に面倒くさいので断念しました。
その代り、PCの中を探したら、この望遠鏡を買ったときの広告ページが保存してあったので、そこに載っていた写真を貼っておきます。(したがって写っているのは、私の家ではなくて、売り手であるエジンバラの某氏宅です。)
種明かしをすれば、この望遠鏡は現代におけるレプリカです。
売り手によれば、作られたのは1970年代の由。ただし、私は何年か前に、これとよく似た品が、ドイツのどこかの博物館のオンラインショップで売られているのを見た記憶があります。(が、どこの博物館だったか、今思い出せません。)
売り手によれば、作られたのは1970年代の由。ただし、私は何年か前に、これとよく似た品が、ドイツのどこかの博物館のオンラインショップで売られているのを見た記憶があります。(が、どこの博物館だったか、今思い出せません。)
値段は本物の10分の1でした。だから私でも買えたのですが、ご覧のように、作りは非常に精巧です。間近で見れば、現代の真鍮素材を、現代の工作機械で加工したものであることが、表面のテクスチャーから判別できますが、しかしこうして写真で見る分には、容易に本物と区別がつかないでしょう。
全体の長さは56センチ、鏡筒を水平にした時の高さは41センチ、口径は約80ミリ。
全体の長さは56センチ、鏡筒を水平にした時の高さは41センチ、口径は約80ミリ。
鏡筒にはCulpepperの刻印があります(Culpeperは異綴)。Edmund Culpepperには同名の父と子がいて、いずれもロンドンで光学製品の店を営んでいました。父は1700年代初頭から1730年代まで、息子の方は1750年代に活躍した人です。彼らは「カルペパー式顕微鏡」にその名を残していますが、望遠鏡作りの方はどうだったのか、寡聞にしてよくは知りません。しかし、おそらくはどこかにオリジナルのカルペパー望遠鏡があって、これはそれを写したものだと思います。
本物でないのは返す返すも残念ですが、演出用にはこれで十分です。
時計屋の店先に置く望遠鏡の候補は、これに決めましょう。
街頭の理科研究(前編) ― 2013年01月16日 22時19分31秒
街頭の理科研究(後編) ― 2013年01月19日 15時40分22秒
この本の主人公は、小学5年生(途中で6年生に進級)の春夫さん。
本書は、彼が周りの大人たちと対話しながら、日常身の回りの事物の中に理科的知識を探っていくという、一種の学習読み物です。
その冒頭に置かれたのは「鉄一瓩〔キロ〕と木一瓩」という微笑ましい文章。
春夫さんは国民学校初等科五年生で、理科が大好きです。
学校の往復やお散歩の時よく自然観察をしてゐますから、
ときどき面白い質問をお父さんや兄さんに持出します。どう
してもわからない時には学校の先生にお尋ねいたします。
先生は春夫さんには大へん感心していらっしゃいます。
或日学校の運動場で遊んでゐる時、一人のお友達が突然
春夫さんに向つて
「鉄一瓩と木一瓩とどちらが重いと思ふ?」
と尋ねました。春夫さんは、
「君は変は事を云ふんだね。鉄も木もどちらも重さが一瓩
なのに、どちらが重いといふのは変じゃないか。同じ重さだよ。」
と云ひますと、そのお友達は得意さうに、
「それが違ふんだ。鉄の方が重いんだよ。うそだと思ったら
両方一しょに水の中へ入れてごらん。鉄は沈むけれども、
木は浮くだろう。どうだ、木の方が軽いぢゃないか。」
と云ひました。
皆さんはこの話を聞いて、どちらが正しいと思ひますか。
なかなか導入部も惹き付けるものがありますね。
ちなみに、春夫さんの住まいは東京の西部という設定ですが、当時の山の手の子供たちは、本当にこんな生意気な口調だったんでしょうか。
本の目次を見ると、上の話題に続いて圧力、浮力、比重に関連した話題が続き、著者はある見通しを持って、系統立てて知識を伝えようとしていることが分かります。
★
理科そのものとは関係ありませんが、この本のページをめくっていると、あることに気付きます。それは、この小さな本の中にも、<時局の変化>が如実に表れていることです。
奥付を見ると、この本は昭和16年12月15日印刷、同20日の発行です。実際に発売されたのは、たぶんその一寸前でしょう。この年の12月8日が、言わずと知れた真珠湾ですから、この本は太平洋戦争開戦と同時に世に出たことになります。
子ども向きの気軽な本とはいえ、書き上げるにはそれなりの日数がかかったはずで、著者がせっせと執筆に励んでいる間に、世の中の空気は急速に変化したのでしょう。そのことが内容から想像できます。
本の前半は、それこそ鉄1キロと木1キロはどちらが重い?というような、ほのぼのした話題が続きます。もちろん中国大陸では日中戦争の最中ですから、当時の日本が平和を謳歌していたわけではありません。しかし、春夫さんの生活は、日曜日にはお父さんとハイキングに出かけたり、町でのんびり買い物をしたり、散歩帰りには大人びてコーヒーを飲んだりと、まだまだ余裕がありました。
(本書口絵。古き良き昭和風景)
樟脳舟のしくみを説く「夜店で見つけた表面張力」、本影と半影について学ぶ「影法師遊び」、音楽会場の構造から知る「音の反射」、出前持ちの妙技に感心する「おそば屋さんと重心」…etc。本の最初の3分の2ぐらいまでは、戦前から続くのどかな市民生活が垣間見られます。
しかし、その後は本の世界でも急速に戦時体制への移行が進み、「焼夷弾を恐れるな」、「炭素と薪自動車」、「ガソリンの一滴は血の一滴」といった、切ない章題が並びます。以下は「ガソリンの一滴は…」中の、春夫さんとお父さんとの会話。
「〔…〕世界中で一年に汲出される原油は大たい二億七千万トン
だが、そのうち、日本でとれるのはどれ位だと思ふ?」
「知りません。」
「戦時日本の少国民がそんな認識不足では困る。びっくりしちゃ
いけないよ。たった0.2パーセントだ。〔…〕だから日本では、
国内で使ふ石油の約九割は外国から買ってゐたのだ。
そこへこんどの支那事変がはじまって、飛行機に、戦車に、
又軍艦にもたくさんの油が入用なのだ。〔…〕最近になって、
アメリカも、蘭印も、日本の正しい東亜共栄圏確立といふ考えを
誤解して、日本へ石油を売ってくれなくなってしまったのだ。
本当にガソリンの一滴は血の一滴だ。」
★
最終章は「今は軽金属の時代」。飛行機を作るジェラルミンの話題です。
ジェラルミンの主成分はアルミニウムで、その原料はボーキサイト。しかし、日本ではボーキサイトが取れません。でもお父さんは、力強く春夫さんを励まします。
日本人もえらいぞ。大ぜいの学者がいろいろ研究した結果、
日本にたくさんある粘土や明礬石(みょうばんせき)から
アルミナを作る方法に成功したのだ。〔…〕春夫も中学校に入ったら
うんと勉強して、世界を驚かすやうな大発明をするんだな。
それも御国に忠義を尽すことになる。
本の結びで、春夫さんは爆音を上げて飛ぶ戦闘機を見上げ、期待に胸をふくらませます。
「僕は少年航空兵になりたいなあ。」
とひとり言のやうに云ひました。皆さん、この春夫さんは、
これから中学校へ入学するさうですが、将来は大学者大研究家に
なってお国に尽すでせうか。それとも荒鷲となって、我が国の
空の護りを固めるでせうか。皆さんの中の誰かときっと一しょに
なって、御国のために名を成すときがあるだらうと思ひます。
戦争というのはなかなかシビアなものですが、それによって失われるものが何なのか、この本を読むと少し分かる気がします。
カタログ・ショッピングの楽しみ ― 2013年01月22日 22時05分06秒
依然として記事が書きにくい状況が続いているので、今日も軽めの記事です。
★
ふつう「カタログ・ショッピング」といえば、カタログを見てあれこれ注文をすることを指すのでしょう。でも、一方には「ウィンドウ・ショッピング」という言葉もあって、こちらはショーウィンドウを冷やかすだけのことを言うようです。とすれば、カタログを冷やかす(?)だけのカタログ・ショッピングがあってもいいのではないでしょうか。
そんなわけで、過去のオークション・カタログを何冊かまとめ買いしました。
いずれもアンティークの科学機器や地図、博物物学関係のモノの売り立ての際に作られたカタログです。
いずれもアンティークの科学機器や地図、博物物学関係のモノの売り立ての際に作られたカタログです。
過去のカタログですから、当然そこに載っている品はもう買えませんし、仮に現在進行形のオークションだとしても、金額的に手を出しにくいものが大半です。たとえばカタログをパラパラめくると、19世紀の鉱石標本セットは、評価額1000~1500ドル、ホラアナグマの頭骨が1500~2000ドル、ハチドリの手彩色版画が1700~2200ドル、ドイツ製の長大なオーラリーが2万3000~3万8000ドル…といった具合。
私の場合、過去のデータを研究して、将来のオークションに備える…という殊勝な動機があるわけでもありませんから、まったくの冷やかしに過ぎないのですが、しかし、こういうのは見るだけでも結構楽しいものです。
それに、最近「理科室風書斎」の品ぞろえも一段落して(と言っても、別に理想の部屋ができたわけではありません。新しいモノを配置する物理的スペースが消滅したという意味です)、ちょっと部屋の空気が沈滞気味なので、自分にとっての理想の部屋を今一度考える上で、こうしたカタログはなかなか有用な指針です。そう、常に理想は高く!(ちょっと阿呆らしい理想ですが)。
↓は上の画像の真ん中に写っているカタログのアップ。
理科室風書斎というと、追求すべきはやっぱりこういう風情かなあ…と思います。
モノの価値・価格・欲望 ― 2013年01月24日 22時46分30秒
昨年悩まされたネットの頻断。その後何もしないのに自然治癒しましたが、一昨日からまたひどい症状が出ています。どうもローカルの問題ではなしに、途中経路にトラブルが生じているような気がします。前回、NTTは「回線には問題ない」と太鼓判を押したので、何かそれ以外のところに隘路があるのでは…。
★
さて、昨日コメント欄の片隅で、とあるやり取りがありました。
そこには、以前記事にした明治の博物掛図の現物が、都内某古書店で売られているよ…という、toshiさんからの耳より情報と、それを知った私の喜びが書かれています。
しかし、今日になって「例の品は既に売却済みで…」というお詫びメールが古書店から届き、思わず天を仰ぎました。その悔しさ・寂しさはいかばかりか、言うもさらなりです。
しかし、よくよく考えてみると、これは確かにそうでなくてはいかんのだと思い直しました。と言うのも、もしこういう品が何の苦もなく易々と買える、つまり、こういうモノに興味を示すのが自分ひとりで、世間の人は誰も関心を示さないとしたら、それはそれで、とても寂しく、味気ない思いがするでしょうから。こういう品が飛ぶように売れていく世の中だからこそ、それを入手することに生き生きとした喜びが伴おうというものです。
これは、あるいは負け惜しみに聞こえるかもしれません。
まあ、その要素があることは否定しません。でも、最近はそこにある種の実感が伴っているのも事実です。何となれば、どうも最近、古書価が低めに振れているような気がしてならないからです。少なくとも、天文古書に関してはそうです。もちろん一部にはバンバン値を上げている本もあるでしょうが、私が好んで買うような、無名の埋没著者によるささやかな19世紀の古書類は、あまり人気がないのか、ジリ貧と言ってもよい状態です。そもそもが不人気の分野なのかもしれませんし、読もうと思えば、その多くはグーグルブックで閲覧できるので、紙の本に対するニーズが乏しいのでしょう。紙の本の苦境は、新刊書ばかりではなく、古書の世界にも及んでいるように見えます。
そんなわけで、以前よりも古書が入手しやすくなり、表面的にはホクホクですが、もろ手を挙げて万々歳かというと、決してそんな単純なものではありません。人間は我がままなもので、簡単に手に入るとなると、それはそれで物足りない気持ちが沸いてきます。
★
言ってみれば、これは価値の物差しを他者に求めることです。他にも大勢欲しがる人がいるが故に、それは自分にとっても価値がある…と思うことに通じるからです。
筋論で行けば、「そんな情けないことでどうする。他人が欲しがろうが、欲しがるまいが、そんなことは関係ないはずだ。要は自分にとってそれが大事かどうかだろう。」という意見に分があるように思えます。理屈で言えばそうです。正面切って、それに反論することはできません。ただ、その筋論のさらに向こうに視線を伸ばすと、人間の欲望とは決してそういうふうにはできていない、ということもまた事実だろうと思います。
残念ながら、ここで欲望論を展開するだけの知識を私は持ち合わせませんが、フランスの精神分析家、ジャック・ラカンは、
「人間の欲望とは他者の欲望である。」
と言ったらしいです。味わうべき言葉だと思います。と同時に、彼は
「欲求は現実対象に向かい、欲望は幻想に向かう。」
「欲求の主体は人間であるが、欲望の主体は物である。」
とも言ったそうです。これまた含蓄のある言葉ではありますまいか。
ラカンの言うことが正しければ、欲求は満たされうるが、欲望は原理的に永遠に満たされない…ということになるのでしょう。
★
話が小理屈に流れました。何だかんだ言って、やはり私は掛図の件がよほど悔しかったのでしょう。(笑)
★
さて、昨日コメント欄の片隅で、とあるやり取りがありました。
そこには、以前記事にした明治の博物掛図の現物が、都内某古書店で売られているよ…という、toshiさんからの耳より情報と、それを知った私の喜びが書かれています。
しかし、今日になって「例の品は既に売却済みで…」というお詫びメールが古書店から届き、思わず天を仰ぎました。その悔しさ・寂しさはいかばかりか、言うもさらなりです。
しかし、よくよく考えてみると、これは確かにそうでなくてはいかんのだと思い直しました。と言うのも、もしこういう品が何の苦もなく易々と買える、つまり、こういうモノに興味を示すのが自分ひとりで、世間の人は誰も関心を示さないとしたら、それはそれで、とても寂しく、味気ない思いがするでしょうから。こういう品が飛ぶように売れていく世の中だからこそ、それを入手することに生き生きとした喜びが伴おうというものです。
これは、あるいは負け惜しみに聞こえるかもしれません。
まあ、その要素があることは否定しません。でも、最近はそこにある種の実感が伴っているのも事実です。何となれば、どうも最近、古書価が低めに振れているような気がしてならないからです。少なくとも、天文古書に関してはそうです。もちろん一部にはバンバン値を上げている本もあるでしょうが、私が好んで買うような、無名の埋没著者によるささやかな19世紀の古書類は、あまり人気がないのか、ジリ貧と言ってもよい状態です。そもそもが不人気の分野なのかもしれませんし、読もうと思えば、その多くはグーグルブックで閲覧できるので、紙の本に対するニーズが乏しいのでしょう。紙の本の苦境は、新刊書ばかりではなく、古書の世界にも及んでいるように見えます。
そんなわけで、以前よりも古書が入手しやすくなり、表面的にはホクホクですが、もろ手を挙げて万々歳かというと、決してそんな単純なものではありません。人間は我がままなもので、簡単に手に入るとなると、それはそれで物足りない気持ちが沸いてきます。
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言ってみれば、これは価値の物差しを他者に求めることです。他にも大勢欲しがる人がいるが故に、それは自分にとっても価値がある…と思うことに通じるからです。
筋論で行けば、「そんな情けないことでどうする。他人が欲しがろうが、欲しがるまいが、そんなことは関係ないはずだ。要は自分にとってそれが大事かどうかだろう。」という意見に分があるように思えます。理屈で言えばそうです。正面切って、それに反論することはできません。ただ、その筋論のさらに向こうに視線を伸ばすと、人間の欲望とは決してそういうふうにはできていない、ということもまた事実だろうと思います。
残念ながら、ここで欲望論を展開するだけの知識を私は持ち合わせませんが、フランスの精神分析家、ジャック・ラカンは、
「人間の欲望とは他者の欲望である。」
と言ったらしいです。味わうべき言葉だと思います。と同時に、彼は
「欲求は現実対象に向かい、欲望は幻想に向かう。」
「欲求の主体は人間であるが、欲望の主体は物である。」
とも言ったそうです。これまた含蓄のある言葉ではありますまいか。
ラカンの言うことが正しければ、欲求は満たされうるが、欲望は原理的に永遠に満たされない…ということになるのでしょう。
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話が小理屈に流れました。何だかんだ言って、やはり私は掛図の件がよほど悔しかったのでしょう。(笑)
気がつけば7歳 ― 2013年01月25日 22時30分51秒
80代の女性が、日々の思いをみずみずしい文章で綴る人気ブログ「気がつけば82歳」。折々拝見しては、80代の自分を想像すると、とてもああはいかんだろうと驚嘆することしきり。ともあれ、まこと時間の疾きことは電光のごとく、「気がつけば…」の思いに捉われることもしばしばです。
★
わが「天文古玩」も、気がつけば7歳。
一昨日がちょうど7周年の記念日でした(自分でも忘れていました)。
7年目-というか8年目-に入った感慨は、有るような無いような、まさに「気がつけば…」という感じです。
近頃は、過去記事の焼き直しが妙に多い、マンネリブログ化している自覚がありますが、その一方で、最近、ブログを始めた頃の気分が、ふと蘇ることがあります。
それは「いったい自分が何を書けばいいのか分からない寄る辺なさ」であったり、反対に、「書きたいことが山ほどあるのに、それをうまく筆にできないもどかしさ」であったり…。まあ、そのせいで安易に過去記事の引用に逃げている面はありますが、でも、そういう気分を感じられるうちは、まだまだブログを続けられるかなあ…とも思います。
そう、天文古玩の世界は、「天文古玩」という、一ブログによって書き尽くされるほど狭隘な世界ではないはずです。もっともっと私は旅を続けねばならないのでしょう。
8年目もどうぞよろしくお付き合いください。
蛍の光、窓の雪 ― 2013年01月26日 06時07分32秒
北日本では大雪の模様。
★
↑は以前ご紹介した、北海道大学特製のブルーベリー酒の空き壜。
ぼんやり眺めているうちに、電球の形に見えてきました。
自らの明かりで、雪の結晶が闇に浮かんだら素敵ではないか…と思い、きらら舎さん(http://kirara-sha.com/)の真似をして、「光り物」をこしらえることにしました。
まあ、“こしらえる”というのはちょっと大げさで、壜の中にパウダースノーをイメージした蓄光粒をザラッと流し込むだけのことですが、それではちと安易すぎるので、一手間加えて、壜の中心に透明な水晶を置いてみました。
まずは安い水晶のクラスターから、適当な太さの結晶を割り出します。
水晶のお尻にミネラルタックをつけて、ピンセットでグイと固定。
あとは、通販で買ったスカイブルーの蓄光粒をザラザラ入れれば…
壜の中に封じ込められた、極小の白銀世界の完成です。
題して「Snow Crystal」。
題して「Snow Crystal」。
暗闇の中で輝く結晶群。
(本当はもっと淡い光ですが、上の画像はコントラストをいじって派手に光らせてみました。でも、直射日光にしばらく当てた直後は、これに近い感じで光ります。)
(本当はもっと淡い光ですが、上の画像はコントラストをいじって派手に光らせてみました。でも、直射日光にしばらく当てた直後は、これに近い感じで光ります。)
★
「強烈な冬将軍が襲来」と天気予報は告げています。
きびしい天候の中、明日まで一泊の小旅行に行ってきます。
皆様も風邪にはご用心ください。
冬の京都へ(前編)…島津創業記念館再訪 ― 2013年01月28日 20時49分38秒
今回の小旅行の行き先は京都でした。
主目的は寺社参拝というオーソドックスな旅で、しかも連れがいたので、理科趣味的色彩は薄い旅でしたが、合間を縫って島津創業記念館を再訪したので、そのことをメモしておきます。
主目的は寺社参拝というオーソドックスな旅で、しかも連れがいたので、理科趣味的色彩は薄い旅でしたが、合間を縫って島津創業記念館を再訪したので、そのことをメモしておきます。
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一昨年訪問した折(http://mononoke.asablo.jp/blog/2011/10/21/6165208)は、島津の旧本社ビルが改築中で、その優美な姿を見ることができませんでしたが、今回は十分楽しむことができました。
(今回はカメラを持参しなかったので、携帯で撮った小さな写真で雰囲気だけお伝えします。)
かつての科学技術の牙城も、現在は「FORTUNE GARDEN KYOTO(フォーチュン・ガーデン・キョウト)」というレストラン&ウェディング施設に衣替えしており、古き科学の香りを探るべくもありませんが、その分、部外者が気軽にモダン建築の妙を味わえるようになったのは喜ぶべきことかもしれません。ちなみに、記念館の方に伺った話によると、敷地と建物は依然として島津製作所の所有で、それをフォーチュン・ガーデンに賃貸ししているのだそうです。
(記念館でもらったフォーチュン・ガーデンのパンフレットから。中には重厚なムードのバーもあるそうで、これはちょっと行ってみたい。)
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さて、肝心の記念館の方ですが、展示内容はほぼ同じでも、前回より心を落ち着けてじっくり見て回ることができたので、とてもよかったです。何事も繰り返し見ることが大事だと実感しました。
今回嬉しかったのは、前回はなかった18ページの紹介パンフができていたことです(100円也)。いずれ、完全な収蔵品目録が作られることを期待したいですが、その一部にしろ、こうして解説付きのきれいな印刷で見られるのは嬉しいことです。
前回はあまり見ずに通り過ぎてしまった、グレゴリー式反射望遠鏡。各地の学校から寄贈された理科機器の一部として展示してありました。メモ代わりに撮った写真が、メモの役割を果たさなかったのが残念ですが、刻印されている名称はオランダのメーカーのもので、寄贈元は(たぶん京都の)大谷高校だったと思います。
先日、「ジョバンニが見た世界」の連載の中で、グレゴリー式望遠鏡を取り上げたので、特に印象深く思ったということもありますが、それ以上に気になるのは、この望遠鏡の来歴です。大谷高校はその前身をたどっても、明治8年(1875)の開学であり、この望遠鏡はそれよりもずっと古いもののはずですから、なぜこれが同校に伝わったかは、ちょっとしたミステリー。
関係者が学校に寄贈したものだとしても、大谷高校は浄土真宗大谷派(東本願寺)が母体の仏教系の学校ですから、お寺さん関係の人で、こんなハイカラなものを持っている人がいたのかどうか…?
昭和の時代に入れば、浄土真宗木辺派の管長を務める傍ら、鏡面研磨の達人として名を馳せた木辺成麿氏のような傑物や、あるいは浄土真宗本願寺派の僧籍にありながら、地球儀製作を業とするようになった渡辺雲晴氏(渡辺教具初代)のような異才もありますが、江戸・明治の昔にも、天文趣味を追究した僧侶がいたとすると、なんだか愉快な気分になります。
★
島津創業記念館を見た後は、これまた以前からこだわっている、戦前のコンクリート校舎の実例を見るために、旧・京都市立明倫小学校を訪ねました。そのことも書いておこうと思いますが、ちょっと文章が長くなったので、ここで記事を割ります。
(この項つづく)
冬の京都へ(後編)…旧・明倫小学校を訪ねる ― 2013年01月30日 20時45分21秒
旧・京都市立明倫小学校は、京都の街中、四条烏丸のそばにあります。
同校は明治2年(1869)開校という、とんでもなく古い学校ですが、1993年に惜しまれつつ閉校となりました。
現在、「京都芸術センター」として市民の芸術活動支援のために活用されている旧校舎は、昭和6年(1931)に完成したもので、以前ご紹介した滋賀県の豊郷小学校の旧校舎(アニメ「けいおん!」のモデル地)よりも6年ほど先輩に当たります。内部の雰囲気は良く似ていますが、外観の意匠はスパニッシュというか、豊郷小学校よりもいっそうデコラティブで、大正時代に流行った田園都市住宅をちょっと連想させます。
(細部意匠)
(赤瓦や壁面装飾が南欧風)
校舎は3階建て(一部2階建て)。平面プランはコの字型で、中央に校庭を設けています。街中だけに、全体にこじんまりとした感じがあります。
(窓越しに見る向かいの校舎)
(歴史を感じる窓の把手)
校舎内には、フロア間を移動するため、階段の他にスロープが設けられています(当時からバリアフリーを考えていたらすごいですが、単に荷物の運搬の便のためかも)。上の写真は「スロープ棟」の外観。スロープの傾斜にそって、段差のついた窓が建物に表情を与えています。
(「スロープ棟」の内部)
★
★
私が期待したのは、もちろん理科室がどうなっているかを知ることでした。
しかし、建物の内部には昔の教室風景が一部再現されていましたが、残念ながら理科室関係の展示はありませんでした。
建物にこれだけ金をかけたのであれば、内部の備品もさぞや…と想像されます。
理科室もきっと充実していたでしょうね。
(かつて先生と生徒の声が響いた教室)
(こういう教室にスチール製の家具は似合いません。)
(長い廊下)
(手洗い場のたたずまいからして美しい。)
何にせよ、こういう学校で学べた子どもたちは幸せだと思います。
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