青い彗星2014年08月23日 13時20分53秒



20世紀初頭、ベルリンのプロイセンゴールド社から出た、天文モチーフのシガレットカードには、彗星カードが5枚含まれます。No. 55-59の番号順に、ダニエル、モアハウス、ハレー、ドナティ、ボレリーの各彗星。


それにしても、この澄んだ青の色合いはどうでしょう。

18世紀の初めにドイツで発見された美しい紺青の顔料は、「プルシャン・ブルー(プロイセンの青)」あるいは「ベルリン・ブルー」と呼ばれました。日本の浮世絵で用いられる「ベロ藍」も、このベルリン・ブルーに由来します。

この青い空は、青の本場、プロイセンならでは色使いかもしれませんね。


重ね刷りされた街のシルエットは、光の反射でぼうっと輝く白い街にもなります。こういうのは、ディスプレイだと見落としがちですが、印刷物の持ち味として無視できないところだと思います。

   ★

青い空。
この列島に早く青い空が帰ってきますように。
そして、亡き人々が、澄みきった青い空を静かに歩まれんことを。

コメント

_ テレポール ― 2014年08月23日 16時22分23秒

おや、この色は、
前に「輝くラピスの天文古書」で紹介された本を思い出しましたよ。
今見直すと、あれは藍でも紫がかってましたし、ライプツィヒで出版されたものでしたね。

_ 玉青 ― 2014年08月24日 08時46分16秒

おお、青なるドイツ。
古書の装丁イメージから言っても、ドイツの青、フランスの赤、緑と茶のイギリスという印象があります。その色使いがうまいというか。
対する日本は何でしょう。黒…でしょうかね?

_ 蛍以下 ― 2014年08月24日 21時30分47秒

>「プルシャン・ブルー(プロイセンの青)」あるいは「ベルリン・ブルー」

そういう名前があったんですね。私もこの色が好きです。
子供の頃再放送で見た「宇宙特撮シリーズ・キャプテンウルトラ」を思い出します。

_ 玉青 ― 2014年08月25日 06時48分31秒

キャプテンウルトラはよく覚えています。
主題歌が口をついて出るぐらいですが、でも「青」のイメージは、さっき画像検索するまで忘れていました。バックはあんな風に青かったんですね。
…と書きながら、「ん、待てよ」と思いました。よく考えたら、覚えてないのは当然で、当時はまだ我が家は白黒テレビでした(笑)。

_ S.U ― 2014年08月26日 07時51分35秒

玉青さんの「ん、待てよ」を拝見して私も思い出したことがありましたので、脇からお邪魔します。下は、Wikipediaの「キャプテンウルトラ」からの引用です。

背景の宇宙空間は「明るい青色」に統一されているが、これについては平山プロデューサーと矢島特撮監督たちスタッフとの間で「黒」か「青」かで議論があったとのことである。当時のテレビ画面の小ささや、テレビ自体の普及度が、カラーよりも白黒が主体だったことなどを考慮して、白黒画面でも発色が明るく出る「青」に決まったという。
(引用終わり)

 最近、「ウルトラセブン」などとともにテレビでこの番組の過去映像が放映されていたのを見ました。青い背景は舞台セットの書き割りのような感覚でした。

_ 蛍以下 ― 2014年08月26日 14時13分40秒

なるほど、あの青は発色の都合だったんですね。
S.U様のご覧になったものと同じかどうかわかりませんが、私も特撮特集番組かなにかで「キャプテンウルトラ」が取り上げられていたのを観ました。当時のプロデューサーが誇らしげに回想しておられたのを見て、正直「何もそこまで」と思いましたが、動画を探してみましたところ、確かに爆発シーンはなかなかのものですね。
https://www.youtube.com/watch?v=iU5-zYjQzeg

ところで、白黒からカラーへの転換期というのは、どんな感じだったんでしょうか。
メーカーがカラーテレビしか生産しなくなって、自然に普及したんだろうと思いますが、それでも10年ぐらい白黒のままで頑張るという家庭もあったんでしょうかね^^

_ 玉青 ― 2014年08月27日 06時43分03秒

作り手のこだわりが感じられる話ですね。

ときに、初めてカラーテレビが家にやってきた時の、何だか誇らしい気持ちはよく覚えています。大げさに言えば「我が家に文化がやってきた」ような感じでした。子どもだけでなく、大人たちも何だかそんな雰囲気でした。昭和のあの頃、たぶん全国で似たようなことは繰り替えされていたのでしょう。

ひとつ不思議なのは、カラーテレビがない頃、白黒テレビしかなかった頃は、誰ひとりそれに不満を感じなかったことです。PCも、ケータイも、スマホもみんなそうですよね。比較する相手がないのですから、当然といえば当然ですが、でも本当に人間ってそういうふうに出来てますね。
さかのぼれば、白黒テレビが、ラジオが、電車が、医療が、学校が、農業が、そして明日の命の保証がないときでも、比較するものがない限り、人間は不満を感じなかったんじゃないでしょうか。

そして、将来の人間が今の時代を振り返るとき、信じがたいことも多いのでしょう。(漠然とした想像ですが、死という概念が意味を失う時代がきたら、21世紀の人間が個体の死を受け入れていたという事実こそ、いちばん不可解なことかもしれません。)

_ S,U ― 2014年08月27日 07時42分23秒

カラーテレビの普及は、昭和の成長時代の「クライマックスの始まり」と言えるのではないでしょうか。ケータイやPCも基本的には同じなのですが、カラーテレビは、もっとこう、世の中がいっせいに開けてきた、という印象がありました。

 カラーテレビの普及に何年かかったかという蛍以下さんのご質問ですが、記憶に基づいて大雑把に言って1960年代後半からの6~7年くらいがメインの普及期間ではなかったかと思います。カラーテレビがしばらく高価だったので、普及に時間がかかりました。不買運動もあって値下がりして最終的に普及をしたと言います。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q121006537

 うちは父親が今で言うメディアオタクのような人でカラーテレビを買うのも早かったです。メーカーも大画面はカラー、小画面は白黒テレビと棲み分けて、けっこう長く平行して生産していました。1970年代前半は、家庭2台目の小型テレビなら、どちらを買うチョイスも普通にあったのではないでしょうか。

 また、かなり長い間、カラー番組と白黒番組が平行して存在していました。(言うまでもありませんが、白黒番組とはカラーテレビで見ても白黒にしか見えない番組のことです) 特撮怪獣物など子ども向け番組はけっこう早くからカラーでしたが、NHKの教養番組などは数年間白黒番組を続けていました。

_ 蛍以下 ― 2014年08月27日 14時13分24秒

玉青様、S,U様

ありがとうございます。自分が生まれる少し前のことなのに、案外と知らないものだなと思いました。

カラーの普及には結構、時間を要したんですね。カラーに並行して白黒番組、白黒テレビも作られていたという事も初めて知りました。
時代的には「ウルトラマン」~「ウルトラセブン」あたりまで白黒で見たという子供もいたということになりますね。そんな子も「ウルトラQ」が白黒だったので最初は気にならなかったのに、友達の家のカラーテレビで総天然色の怪獣を見て白黒に不満を覚えたんでしょうね。

_ 玉青 ― 2014年08月28日 06時52分57秒

なんだかだんだん懐古ネタになってきますが、あの頃のテレビ欄は、カラー番組には「カラー」という表示があったんではなかったでしたっけ?「ステレオ」という表示も一時あったような気がします。何にせよ過渡期でしたね。

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

名前:
メールアドレス:
URL:
コメント:

トラックバック