人との出会い、そして別れ2015年02月01日 11時10分56秒

昨日は良い時間を過ごしました。

名古屋のantique Salon さんで行われたイベント「博物蒐集家の応接間」に参加し、出展された各店主の方々と親しくお話をさせていただいたのをはじめ、懐かしい出会い、嬉しい出会い、思いがけぬ出会いが、たくさんありました。これまでネット上でしか言葉を交わしたことのない方とお目にかかると、いつも「リング」を地で行くような、不可思議な感覚を覚えます。

2次会まで参加し、ふと時計を見たらもう終電の時間になっていて、これは何かの間違いだろうと思いましたが、現実世界の時刻は実際その通りで、時間の流れる感覚がいつもとは明らかに違っていました。

また、事前にコメント欄で「ひょっとしたら賢治さんが来るかもしれないよ」と警告を受けていたのですが、それもまた事実となりました。昨日お目にかかった、賢治研究者のK氏。私の内なる声は、それが賢治氏ご当人であることを告げていました。少なくとも、賢治さんの魂が、K氏の現し身に受肉して来臨されたのは確かだと直覚しました。

いっぽうでは、お目にかかるのを楽しみにしていながら、すれ違いで終わってしまった方もいらっしゃいます。楽しみはまた後にとっておくことにします。

   ★

私が温かい思い出とともに寝床の中にあったとき、賢治さんは、もう一人のケンジさんとともに再び遠いところに還られたことを知りました。その志と無念の思いにいっとき落涙しながら、またいつかどこかでお会いできることを祈っています。


ありがとうケンジさん。良い銀河の旅を。

コメント

_ 荒木瑞穂 ― 2015年02月02日 16時27分37秒

こんにちは、先日のantique Salonさんのイベントで最初に1度ご挨拶させていただいた荒木と申します。(医療系雑貨を作っています)
実はイベントも島津さんからのご紹介で、玉青さんとも会っておいた方が良いですよ。とお声掛けいただきました。
当日はお話を聞けるのかな…。と思っていたので、まさか挨拶のみで帰る事になると思わず、失礼致しました。
(レセプションというか、懇談会のようなアットホームな場でした。)
まだまだ勉強不足な人間なのでこれと言って楽しい話題も出せませんが、もしまたお会い出来る機会がありましたらお話いただけると嬉しいです。
島津さんと色々話を進めていまして、いつになるか分かりませんが、必ずひとつ形にできたらと思います。
※お忙しいと思いますので、ご返信は不要です。

_ S.U ― 2015年02月02日 19時52分07秒

賢治さんが来られましたか。驚きましたね。

 賢治さんの言葉に 「世界全体が幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」というのがありますね。若い頃はこれは宗教家が遙かな理想を述べた言葉だと思っていたのですが、ここ何年かは現前の事実であると思うようになりました。遙かな理想には違いないのですが、これを軽んじている間は、結局、我々は幸福になれないのではないか。
 ケンジさんのお母様の言葉を聞いて、この言葉を思い出しました。

_ 玉青 ― 2015年02月02日 21時05分59秒

○荒木さま

先日は遠いところをお越しいただき、ありがとうございました。
実ににぎやかな宵でしたね。とにかく、ああいう状況でしたから、せっかくの機会だったのに、荒木さんや島津さん(それとご挨拶しそびれてしまったもうお一人)と、落ち着いてお話することもできず、その点は残念でした。でも、これでご縁ができましたから、以後は気楽に声をおかけください。
まあ、antique Salonさんはあんな風に持ち上げてくださいましたが、私は特段知識がどうこう言えるような人間ではありませんので、例の件でお役に立てるかどうか甚だ心もとないですが、でも少しでもお役に立てることがあれば幸いです。今後ともどうぞよろしくお願いいたします。<(_ _)>

○S.Uさま

昔、抜苦与楽(ばっくよらく)という仏教用語を知って、これぞ人に対する究極の思いやりだと思い、しきりに心の中で「抜苦与楽、抜苦与楽」と振り回していたことがあります。
もちろん、仏菩薩の慈悲心の要諦は、抜苦与楽に違いないのですが、その後、実はこの語は「獄苦代受(ごっくだいじゅ)」と対になるのだと知って、自分にその覚悟があるかと自問し、己の浅さを恥じました。私は痛いのがダメなので、なかなかそういう境地には達しがたいです。

しかし、生身の人間のうちにも、そういう人がときにいますね。ナチスの犠牲になったコルチャック先生を思い出します。賢治さんや、ケンジさんもそんな一人に数えられるかもしれません。

人々が全員そういうスーパーマン的な境地に達する必要はないと思います。
でも、誰でも自分の心の内にコルチャック先生や、ケンジさんの姿を抱くことはできるし、そうなってほしいと願います。

_ 賢治の事務所員 ― 2015年02月02日 23時51分06秒


 アンティーク・サロンさんでは、レセプションへの参加、そして引き続いて行われた懇親会まで、大変お世話になりました。

 アンティーク各界の皆様と交流できたことも含め、お会いできたことに感謝しております。(参加されました大勢の皆様にも、この場をお借りして感謝)

 「時計屋のショーウインドウ」展示の方も、楽しませていただきました。
せっかくあれだけの逸品が揃っているわけですから、多くの賢治ファンの方々の目に触れる機会ができたら・・・、思わずあれこれ考えてしまいました。

 またどこかでお会いすることがあるかも知れませんが、今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

 私のウェブサイトの中の「緑いろの通信」1月31日に写真で紹介させていただきました。

_ とりかわつくね ― 2015年02月03日 01時06分02秒

玉青さん、先日はありがとうございました!
私は緊張すると逆に饒舌になるきらいがありまして、もしも失礼がありましたらどうもすみませんでした…
あのレセプションと、居酒屋さんで手羽先を摘まみながら過ごした数時間は一生忘れません。
あの日もお話していましたが、決して大げさでなく私はあの十代の頃に「天文古玩」にアクセスしていなかったら「とりかわつくね」になる事も無かったですし、きっと本当の意味での引き籠もりになっていました。
モニター越しではありましたが、玉青さんはずっと私の心の師匠で、恩師のように思っておりました。
…と、重いお話になってしまいましたが。お会いできて本当に嬉しかったです!あの日一緒に撮らせてもらった写真は、ポラロイドフィルムに現像して引き出しに大切にしまっておきます。
それと、酔っ払いに絡まれる玉青さんという貴重な図も見ることができて楽しかったです(笑)。
また、是非お話させて下さい。その時までに、私も玉青さんに報告したい出来事を沢山ストックしておきます。
これからも、モニター越しによろしくお願いしますね。

_ 玉青 ― 2015年02月03日 06時58分33秒

○賢治の事務所員様

先日はお会いできて本当に嬉しかったです。
私の賢治の捉え方は、ひどく偏頗だと自覚しているのですが、Kさん(上記記事に合わせてこうお呼びします)に温かく受け止めていただいたおかげで、賢治その人にも許してもらえたような気がしました。

「通信」にもお取り上げいただき、ありがとうございました。
それにしても、Kさんの東奔西走ぶりに驚きました。こういうご時世ですが、事務所は大いに繁盛のようですね。あるいはこういうご時世だからこそ、賢治さんも忙しいのでしょうか。(猫の事務所はわりとヒマそうに見えましたが・笑)

今後もたびたびお世話になると思いますので、どうぞよろしくお願いいたします。
(先日、ちらっとお話ししたのは、すぐ上でコメントされているS.U氏で、氏にもKさんにお会いできたことを別便でお知らせしました。)


○とりかわつくね様

いやあ、つくねさんとご一緒に「鶏」を食べることになるとは予想もしていませんでした。
antique Salon さんの深い配慮によるものでしょうか。(笑)

「天文古玩」が、つくねさんが前に踏み出すきっかけになったのであれば、こういうささやかなブログでも、地道に続けていて良かったなあ…と心から思います。でも、「きっかけ」はあくまでも「きっかけ」に過ぎず、つくねさんが前に踏み出されたのは、つくねさんご自身の力に他なりませんので、そのことはつくねさんの胸にしっかり刻んでいただければと思います。

つくねさんは、これからも多くの人と出会い、多くの場所を訪れ、現実の旅や心の旅を続けられることでしょう。また旅の途中でお会いできたら、いろいろ土産話を聞かせてください。

(…と言いつつ、ネットの力を借りれば、いつでもこうして言葉を交わせますから、余り遠い目つきになる必要もありませんね。まあ、そこがネットの功罪半ばするところでしょうが…)

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