機械仕掛けの水族館2016年08月17日 06時34分27秒



昭和戦前のエンゼルフィッシュ時計(金魚時計)を模したリプロ製品。
現代の中国で大量に作られているものです。

オリジナルのエンゼルフィッシュ時計は、機械部分がカバーされていて見えませんが、リプロの方は、あえてそれを見せることで、一種の景色を作っています。


仔細に見れば、たしかにいろいろ弱点はあります。
手前のごつい歯車は、単に見かけだけで、時計としては機能していないように見えますし、


上部の3つの歯車は、安手のプラスチック製です。


それでもゼンマイを巻けば、上の2匹は秒針代わりに回旋を始め、


下の1匹は盛んに身をくねらせて、時の流れの中を元気よく泳ぎだします。

   ★

緑の色ガラスも涼し気で、全体のチープさは玩具めいた気安さに通じます。

カルピスを飲みながら、あるいはガリガリ君を齧りながら、こんなものをぼんやり眺めて一日を過ごす…というのが、正しい夏の過ごし方ではなかろうかと思います。




孤愁の人2016年08月18日 16時38分45秒


(背景ははくちょう座の網状星雲(NGC6992)。1901年10月5日、シカゴのヤーキス天文台撮影)

星の世界をひとり歩む天文学者。
足下には微かに輝くガス星雲が、一本の道のように続いています。

(つま先から帽子のてっぺんまでは約75ミリ)

とんがり帽子、長いマント、星の縫取り模様…
19世紀にイメージされた「昔の天文学者」の姿を、そのままなぞって作られた、当時のブローチです。


光にかざすと、マントの部分は、あずき色の半透明の素材を使っていることが分かります。一見プラスチックのようですが、これは貝殻を削ったもので、そこに銀製パーツを留めてあります。


背後のピンが欠損しているため、このまますぐにブローチとして使うことはできませんが、アメリカの売り手は、ペンダントトップにすることを勧めていました。

この品、天文学者をかたどったブローチというだけでも珍しいのですが、それが愁いを帯びた後姿である点に、言い知れぬ魅力を感じました。

ルネサンスの天文学者に捧げるカード2016年08月19日 21時46分01秒

三角帽子をかぶった変な天文学者のイメージは、これまでたびたび取り上げました。

■カリカチュアライズされた天文学者のルーツを探る(前編)(後編)

 http://mononoke.asablo.jp/blog/2011/07/12/5951388
 http://mononoke.asablo.jp/blog/2011/07/13/5952391

「天文学者」と題された下の絵は、それらに比べると史実に忠実な感じがします。

(1930年代に出たテンゲルマン・コーヒー(Tengelmann Kaffee)のおまけカード)

しかし、それはコスチュームに限っての話で、その行動はいっそう奇妙なものです。


彼は四分儀らしきものを右手に持って星を見上げ、左手ではディバイダを操作し…
実際こんな覚束ない手つきで星の位置測定ができるはずはありませんが、それはご愛敬でしょう。

(奥のギザギザ円盤はおそらくノクターナル(星時計)。手前のボード状の道具は不明)

それよりも、ここでは天文学者の前に鎮座する、巨大な多面体の存在が注目されます。この20世紀の絵師は、一体なぜこんなものを、ここに描き込んだのか?


裏面の解説を読むと――と言いつつ、ドイツ語と髭文字のせいで文意が判然としないのですが――古来、天文学者たちは、この無限の宇宙を律する法則を探るために、非凡な努力を重ねてきたこと、そしてその代表選手が、クザーヌス(1401-1464)であり、プールバッハ(1423-1461)であり、さらに、レギオモンタヌス(1436-1476)を経て、コペルニクス(1473-1543)、そして「なかんずく(vor allen)」ケプラー(1571-1630)へと至る系譜であった…と、この短文の筆者は述べているようです。

そんなわけで、ここではケプラーが最大の功労者として名指しされているので、この多面体(正二十面体)も、ケプラーの多面体宇宙モデルをシンボライズし、彼に捧げているのではないか…と想像されるのです。

   ★

それにしても、ここに出てくる人たちは、とてもコーヒーのおまけカードとは思えない渋い人選です。いかにもドイツらしい、重厚な思索の跡をしのばせますが、ひょっとしたら、ティコ・ブラーエやガリレオを無視したのは、単純にドイツ(ないしドイツ系)の人物を連ねて、国威発揚を狙っただけかも。

飛行機乗りと天文台2016年08月20日 17時56分29秒

1枚の絵葉書から、またぞろいろいろ思いを馳せることにします。


石版刷りの古ぼけた絵葉書です。おそらくは1930~40年代のものでしょう。


居館風の建物の屋上に設けられた小さなドームと、そのスリットから覗く、小型の機材。

その「程のよい小ささ」が、いかにも居心地が良さそうで、「アマチュア天文家の夢の城」の印象を生んでいます。ドーム脇の屋上を飾るチェッカーボード模様も洒落ているし、周囲の緑の丘も、のどかで気落ちの良い風景を作っています。

こんなところに住んで、のんびり望遠鏡を覗いて暮らせたら…ということを考えて、この絵葉書を手にしました。

   ★

では、この素敵な天文台はいったいどこにあるのか?


その手がかりは、言うまでもなくキャプションで、ググってみれば、これが「短焦点の彗星捜索用望遠鏡を覆う東側ドームの光景」を意味する、チェコ語ないしスロバキア語であることが分かります。


さらに裏面を見れば、これはプラハに現存する「シュテファーニク天文台(チェコ語:Štefánikova hvězdárna)」の絵葉書なのでした。

シュテファーニク天文台 (公式サイト英語ページ)
 http://www.observatory.cz/english.html

場所はプラハの中心部、以前取り上げたプラハの天文時計とは、ブルタバ(モルダウ)川をはさんで反対側になりますが、そこに広がる広大なペトシーン公園の丘の上に、シュテファーニク天文台はあります。

(ウィキペディア掲載の現在のシュテファーニク天文台の姿。右手の緑青色のドームが、絵葉書に写っている「東側ドーム」。1970年代に改装されたせいで、屋上回りの様子が、絵葉書とはちょっと違います。)

この天文台が開設されたのは1928年だそうですから、そう古い施設ではありません。
そして、専門的な研究施設というよりは、教育プログラム主体の、市民向け公開天文台です。

しかし、その中央メインドームに据付けた機材は、ウィーンの熱心なアマチュア天文家にして、有名な月面観測者だった、ルドルフ・ケーニヒ(1865-1927)の巨大な愛機を移設したものであり、現在、西側ドームには37cm径マクストフ=カセグレンが、そして東側ドームには40cm径のミード製反射望遠鏡が設置されていて、公共天文台としては十分すぎる設備を有しています。

   ★

この天文台で見るべきものは、その機材ばかりではありません。
それが秘めている物語は、何よりもそのネーミングにあります。
「シュテファーニク」とは人の名前です。といって、この天文台を作った人ではありません。

(天文台の正面に立つ、ミラン・シュテファーニクの像。ウィキペディアより)

何でこんな飛行機乗りの格好をした人が、天文台と関係あるのかといえば、この人は飛行機乗りであると同時に、天文学者であり、そしてチェコスロバキア独立のヒーローだからです。そういう傑物を偲んで、この天文台は作られました。

さして長文ではないので、以下、ウィキペディアからそっくり引用します。

 「ミラン・ラスティスラフ・シュテファーニク(Milan Rastislav Štefánik、1880年7月21日―1919年5月4日)は、スロバキアの軍人、政治家、天文学者。第一次世界大戦中にトマーシュ・マサリクやエドヴァルド・ベネシュとともにチェコスロバキアの独立運動を率いた中心的人物。

 オーストリア・ハンガリー帝国領内(現在のスロバキア北西部)のコシャリスカーで生まれる。1900年に入学したカレル大学では、哲学の講義でトマーシュ・マサリクと知遇を得て、チェコ人とスロバキア人が協力する重要性を強く認識するようになった。カレル大学では、哲学のほか、物理学や天文学について知識を深めた。1904年にパリに移り、ピエール・ジャンサンに才能を見出され、パリ天文台に職を得る。主に太陽(とくにコロナ)の観測・研究に従事した。1912年フランス市民権を取得。

 第一次世界大戦が始まると、フランス軍のパイロットとして参加するとともに、パリを拠点にマサリクやベネシュとともにチェコスロバキア国民委員会を設立して、独立に向けた外交活動を展開した。またチェコスロバキア軍団を組織し、その指導に当たった。このような外交努力によって、協商国側からチェコスロバキアの独立に対する支持を取り付けることに成功した。

 1919年、イタリアからスロバキアへ飛行機で帰国する途中、墜落事故のため死去。」

(軍服姿のシュテファーニク。出典:http://www.tfsimon.com/stefanik-note.htm

こういうのを、単純に「カッコイイ」と形容するのは軽薄でしょう。
しかし、学問を愛し、空を愛し、そして歴史の壮図に自分を賭けた、一人の人間の生き様は、心に強く響きます。少なくとも、安逸な生活に憧れ、静かな場所で望遠鏡をのんびり眺めて過ごしたい…と願うような男(私)に、彼の生き方は強く省察を迫るものがあります。

   ★

私はシュテファーニクのことも、チェコスロバキアの独立運動のことも、ついさっきまで知らずにいました。私だけでなく、東欧の近代史に関心のある人を除けば、この辺は知識の空白になっている方が多いのではないでしょうか。

世界は有名無名のドラマに満ちています。
まあ、ちっともドラマチックではない、平凡な日常こそ貴いというのも真実でしょうが、ときにはドラマに触れることも、日常を振り返る上で大切なことと思います。

(シュテファーニクが勤務したパリ天文台ムードン観測所の上を飛ぶ複葉機。この絵葉書は、かつてタルホ氏に捧げましたが、今一度シュテファーニク氏にも捧げます。)

天文倶楽部へようこそ2016年08月21日 12時01分34秒

チェコつながりで、小さな白い土星のピンバッジ(全長47mm)。


「Klub Mladých Astronomů」というのは、チェコ語で「Young Astronomers Club」の意味だそうで、天文好きの青少年のクラブが、かつてチェコにあったのでしょう(今もあるかもしれません)。

1968年に起こったチェコの民主化運動、「プラハの春」によって、国内のあちこちに温暖な風が吹き、それを受けて、天文趣味界隈にも、こういう民主的なクラブが生まれた…となると、ちょっと興味深いのですが、このバッジの背景は何も分かりません。それでも、日本の例から推して、この種の団体が熱心に活動していたのは、1960~70年代あたりではなかろうかと思います。


それに、昨日の記事にいただいたS.Uさんのコメントによれば、チェコスロバキアは東欧諸国の中でも、ことに天文熱が高かったそうなので、プラハの春は脇に置いても、こういうクラブが設立されたのは必然だったのかもしれません。

   ★

私自身は、子供の頃、兄が買ってくる「天文ガイド」誌は読んでいましたが、天文クラブには参加していませんでした。

身近にそんなものがあることを知らなかったし、天文以外にもいろいろ気の多い生活を送っていたせいですが、今にして思えば、子供の頃にそういう経験をしていたら、もう少し宇宙や人間に対する見方も変わっていたかなあ…と、ちょっぴり残念な気がします。

まこと、子供時代の良き友・よき導き手は、何物にも代えがたい宝です。

さあ、魔法で宇宙の旅へ(前編)2016年08月22日 21時34分47秒

昨日のバッジの背景に使ったのは、この絵本です。


Alice Piguet(文)、A. Sérébriakoff(絵)
 『Tirely Astronome』(天文家チルリー)
 Gallimard (Paris), 1935, 33p.


あるうららかな日、草原でぼんやり宇宙のことを考えていた少年チルリー。


彼の前に、突然「僕はジン、好奇心の精だ」と名乗る、天使のような姿をした者が現れます。そしてチルリーはジンの魔法で、いっしょに星の世界を旅し…というお話。


   ★

この手のストーリーは、わりとありがちな気がしますが、1935年という出版年を考えると、当時はかなり斬新だったかもしれません。


挿絵は素朴な石版刷りで、オフセットにはない優しさを感じます。


挿絵がきれいな本なので、もう少し中身を見てみます。

(この項つづく)

さあ、魔法で宇宙の旅へ(後編)2016年08月23日 06時49分21秒

本を紹介するといっても、例によって言葉の壁があるので、挿絵をざっと見るだけでお茶を濁します。


天文入門書の常道として、旅は身近な月世界から始まります。
巨大なクレーター、峩々たる山脈、頭上に浮かぶ地球…そんなものに、チルリーは驚きの目を向けます。


火星を過ぎ、木星も超えて…


土星へ。そこから振り返るまばゆい太陽。
好奇心が強いのはチルリーだけではありません。他にもいろいろな子どもたちが、天界めぐりを楽しんでいます。


間近で見る、白く輝く彗星。彼女もまた天界の旅人です。


太陽系の名所を一通り見た後は、さらに遠い恒星世界に目を向けます。
空を埋め尽くす、にぎやかな星座たち。


無数の星が連なる天の川。

現在であれば、ここからさらに遠く遥かな、銀河系外の世界にチルリーたちは向かうところですが、彼らの旅はここで終わっています。この愛らしい本が、1935年という時代の制約を受けていると感じる点です。


目覚めればそこは元の草原。日は相変わらずうららかで…という、「不思議の国のアリス」的な夢オチのストーリー。

  さあチルリー、目を開けなさい。
  妖精ジンはもう行ってしまいましたよ。
  美しい旅も終わりです。
  こうしてこの上なく美しい夢は終ったのです。

   ★

80年前のフランスの子どもたちが見た、美しい夢のかけら。
80年経った今、宇宙の理解は桁違いに進みましたが、子どもたちの幸せも桁違いに増進したかと問われれば、ちょっと切ないものがあります。

土星キャラ立ち史(その6)2016年08月24日 20時56分37秒

土星は、その輪っかのせいで擬人化されやすく、これまでいろいろな“サターンマン”が本や絵画や映像に登場してきました。その姿の変遷をたどりつつ、できればそのルーツも探りたい…という願望から、「土星キャラ立ち史」というのを、これまで都合5回書いてきました。

それは左のカテゴリー欄の「土星」を見ていただければ良いのですが、手っ取り早く、下にリンクを張っておきます。


その最後(直上リンク先ページ)に登場した、「憎らしい土星」の現物を、その後手にしたことはまだ書いていませんでした。


1890年頃のシガーボックスラベル(ラベル全体のサイズは12×18.5cm)。


うーむ、何と憎々しい土星でしょう。


以前の記事で書いたように、リトグラフの版元はフィラデルフィアの George Harris & Sons社です。

   ★

…というのは、あまり意味のない前振りで、最近これに負けず劣らずキャラが立った土星を見かけたので、そのことを書こういうのが本題です。

(この項つづく)

土星キャラ立ち史(その7)2016年08月26日 06時13分41秒

「サターンマン」のルーツは依然さっぱりです。
でも、まさにその名にふさわしいのが下の人物。


 “The MAN with the HEAD of SATURN!”「土星の頭を持つ男!」

…という文字の脇で、土星頭の男がビビビビ!と怪光線を発し、人々が逃げまどっています。見るからにわけが分かりませんが、これは『ストレンジ・アドベンチャーズ』というアメコミ誌の1963年9月号の表紙です。

9月号は、この「土星の頭を持つ男」と「原子の騎士(Atomic Knights)」というコミックの2本立てですが、とにもかくにも「土星の頭を持つ男」の内容を見てみます。

   ★


謎の宇宙船と戦う男たちのタイトルページ。

その脇に、私の名前はビル・スメイザーズ。カルダー・カレッジの天文学教授だ。だが10年前、私は朝鮮戦争で中国共産党と戦う中尉だった…」という主人公の独白が書かれています。このビル・スメイザー教授が、本作の主人公。


かつての戦友たちと懐かしい再会を果たし、自分の勤務する大学を案内するビル。
しかし、そのとき彼の身体に突如異変が生じます。

「あ、いったいどうしたんだ?目が、目が見えない!」
「ビル、君の頭の回りに変な光が!」

「なんてこった!土星の形になったぞ!」
「ビル、早くそれを取れ!」

…と騒然となったところで、表紙絵のコマになります。


必死に土星のかぶりものを取ろうとするビル。
しかし、土星の頭は怪光線を発射し、それを浴びた友人たちは次々に消滅してしまいます。ビルはその気配を察して、さらに焦ります。

「いけない、この土星の頭を脱がないと、私は地球上の人々を全て破滅させてしまうかもしれない!」

ビルは…そして人々の運命は…?!

(この項、緊迫してつづく)

土星キャラ立ち史(その8)2016年08月27日 09時21分08秒

(昨日のつづき)

そのとき、恐怖に打ち震えるビル・スメイザーの身に、第2の異変が生じます。
服をはためかせる強い風。熱さと冷たさが交互に襲ってくる感じ。まるで風に舞う埃になったような気分です。


気が付くと、目の前に1人の異星人がいました。
消えたと思った友人たちもいます。
異星人はビルの「土星の頭」を脱がせながら、語りかけました。

「ようこそ、土星へ!私の名はカンデア・オール。私が君たちをここへ呼んだのだ。私を助け、この歴史上もっとも長きにわたる戦争を戦ってもらいたい。」

あの土星の頭は、カンデア・オールと名乗る土星人が送り込んだもので、それを被った者と、その光線を浴びた者たちを、土星に瞬間移動させる力があったのでした。
(何だか読んでいる方も「風に舞う埃」になった気分ですが、ここは理屈で考えることはやめて、さらにストーリーを追います。)


カンデア・オールの話によると、土星にはかつて多くの民が住んでいましたが、木星との激しい戦争によって荒廃し、今やカンデア・オールが唯一の生き残りとして、依然木星との戦争を続けているのだそうです。そして、木星もまた同じ運命をたどり、今や木星の唯一の生き残りが、アラゴア・ヴォン

彼らは元は同一の種族だったらしく、外見もそっくりで、さらには互いの心を読むこともできます。そのため戦いは膠着状態にあり、決着が着きません。


そこでカンデア・オールが思いついた秘策が、地球人に木星を攻撃させることでした。さすがのアラゴア・ヴォンも、地球人の心までは読めないので、その攻撃を防げないだろうというわけです。

しかし、カンデア・オールの計画は、ただちに木星側に知れるところとなり、アラゴア・ヴォンも対抗策を打ってきます。(そして対抗策を打ったことは、カンデア・オールにも伝わります。うーむ、何とややこしい話でしょうか。)

土星がアメリカの勇士をリクルートしたなら、木星はソ連で対抗です。

(ついに木星の頭も登場)

「あ、イワンの上に木星の頭が!いったい、あれはどこから来たんだ?」

   ★

木星を制圧した後は、地球侵略をほのめかすカンデア・オールですが、既に彼によってマインド・コントロールされたビルたちは、カンデア・オールに逆らえず、宇宙船で木星に向かうはめになります。


その途中、ソ連の兵士が乗った木星の宇宙船とすれ違います。
もちろん、彼らはアラゴア・ヴォンの命を受けて、土星のカンデア・オール攻撃に向う途中です。

「地球上では、彼らは我々の敵だったかもしれない。だが、ここでは異星人に立ち向かう同じ地球人だ!」 「よし、いい考えがある!」

ビルは通信システムを使って、彼が思いついた「ある計画」を、ソ連の兵士にモールス信号で伝えます。


(あまり引っ張るような話でもありませんが、冷戦を背景にした、この奇怪なストーリーを追って、さらにこの項つづく。次回、大団円)