星めぐりの青い夜2020年08月18日 05時45分02秒

天文アンティークの世界に分け入って、美しいモノや、変わったモノをずいぶん見てきましたが、その中でも、これはちょっと<別格>という品があります。
“これさえあれば、生きながらえることができる―。”
何だか大げさですが、確かにそう思えるような品がいくつかあるのです。

たとえば、この古い幻燈スライド。


木枠に取り付けたハンドルを回すと、ガラスに描かれた絵柄がくるくる回る「メカニカル・ランタン」の一種で、19世紀後半にイギリスで売り出されたものです。


メーカーはロンドンの John Browning 社。
これを光にかざせば、青く輝く夜空に一面の星が広がります。


その主役は大熊と小熊。


北斗七星を基準に、小熊のしっぽの先に光る北極星を探すという、星座学習の基礎を説くものですが、その絵柄の何と繊細なことか。森の上に悠然と浮かぶ熊もいいし、木立ちの描写も美しいです。そして、空の青と星の白の爽やかなコントラスト。いかにも星ごころに満ちています。


そして、ハンドルを回せば星がゆっくりと回転し、熊たちも空の散歩を始めるのです。微笑ましくもあり、なんだか切ないような気もします。

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下界に暮らすことは辛いことです。でも、こういう品に心を慰め、頭上を振り仰げば、もうしばらくは頑張れそうです。

カテゴリー新設…星のめぐりに「時」を知る2020年08月19日 09時33分05秒

夏休みを利用して、ブログでこれまで不便を感じてきた点に、修正を加えることにしました。いわば、自らに課した夏休みの宿題です。

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不便というのは、天文学と不可分である「暦」の話題が、独立のカテゴリーとして存在しなかったことです。現状でもカテゴリーが多すぎて、自分以外の人には(自分にとっても)何だか訳が分からないと思うんですが、これはどうしても欲しかったので作りました。

新カテゴリー「暦・編暦・改暦」がそれです。
時代や国を問わず、暦に関する話題はすべてここに入れることにします。

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そしてもう一つ、これも今まで無かったのが不思議ですが、「暦」と縁の深い「時計」のカテゴリーを新設しました。ロングスパンの時を知る「暦」と、ショートスパンの時を知る「時計」は表裏一体だからです。

図式的にいえば、天体の年周運動と月の満ち欠け(=地球と月の公転)の定式化が「暦」であり、天体の日周運動(=地球の自転)のそれが「時計」です。それらを目指して古代の天文学は発展した…と、天文学史の本を開けば、一様に書かれています。


実は、これまでは「アクセサリ・ウォッチ」として、腕時計だけはアクセサリと抱き合わせでカテゴライズされてたんですが、私が持っている腕時計は、どれも宝飾品とは程遠い品なので、この際、置時計や掛け時計、それに天文時計や日時計とひっくるめて、シンプルに「時計」と呼ぶことにします。(アクセサリの方も、単に「アクセサリ」と純化しました。)

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昨日の天文スライドも、もうちょっと工夫すると、立派な「星時計」になりますね。実際、既存の星時計(ノクターナル)は、1日に空を1回転する北斗七星の動きを見て、時刻を知る仕組みのものが大半です。

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来月の予定を書き込むカレンダーや、会議の終了を気にして目をやる腕時計。
それらと天体運行の関係は、ややもすると意識の表面から遠のきがちですが、一皮めくれば「ズブズブの関係」と言ってもよいです。

小さな巨人…ソ連の星座アトラス2020年08月21日 18時27分29秒

アトラスといえば、天空をがっしり支えて立つ巨人ですから、アトラスを名乗る地図帳や星図帳の類も、大きな判型の堂々とした本が多いです。
しかし、中には小さなかわいいアトラスもあります。


高さは14.5cm、だいだい日本の文庫本サイズですが、これも立派なアトラス。
旧ソ連で1949年に発行されたもので、著者はG. レンガウアー、書名は『カルマンニイ・ズヴェズドニイ・アトラス』と発音します(たぶん)。英語に訳せば、ずばり『ポケット・スター・アトラス』

この淡い青――気取って言えば「錆納戸色」の布表紙もいいし、白い文字と星が目にあざやかで、涼しげな感じがします。


四隅に圧されたちっちゃな星座絵もいいですね。

旧ソ連には、どうもコワもての印象があるし、しかも本書の版元は、「ソ連邦教育省出版局」というお堅いところなんですが、彼の国は一方で子供文化を大事にしたので、こういう妙にかわいいものも生まれたのでしょう。当時は宇宙開発競争前夜、まだ米ソが宇宙で大っぴらに角を突き合わせる前の時代です。


表紙を開くと、中にはいろいろな星の解説が載っていて、


肝心の星図は巻末のポケットに入っています。

(上は商品写真の流用)

カード式の星図が全部で8枚。
ソ連の国内から見える星ということで、赤緯-30度までの空が表現されています。



青インクで刷られた文字と星座境界線が、かっちりした感じです。


星図カードの裏面は、表面の星図にちなんだ天体写真や星の豆知識を載せ、教育的配慮を見せています。

(おおぐま座、こぐま座の近傍)

昔からロシアは、強大で鈍重な熊にたとえられますが、国民の精神生活に分け入れば、当然繊細で可憐な面も豊富にある…という当たり前のことを、1冊の星図帳を前に思い起こします。

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酷暑も今週で一息つくと、天気予報は告げています。
百日紅の薄紅のドレープが路上に散れば、夏もいよいよ終わりが近づいた証拠。
ホッとした気持ちで夜空を見上げるのも、もうじきでしょう。

占星術リバイバル2020年08月22日 14時41分22秒

「うーむ、これは…」という記事を読みました。
いつもの天文学史のメーリングリストで教えてもらったものです。

以下はニュースサイト「SLATE」8月20日付の記事(筆者はHeather Schwedel)。


■「○○ちゃん、あなたの星座はなあに?(What’s Your Sign, Baby?)」

アメリカにおける世代区分のひとつに「ミレニアル世代」というのがあります。
一般的な用法としては、1981年~96年生まれを指し、年齢でいうと、現在24歳から39歳。ちょうど小さな子供がいるお父さん・お母さんの世代です。

上の記事は、ミレニアル世代が、その先行世代に比べて、占星術に強い関心を持ち、我が子にも星占いの本を好んで買い与えていること、そして目敏い出版社は、今や続々と星占いの絵本を市場に投入している事実を、やや批判的視点から取り上げたものです。

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これに対するメーリングリスト参加者(多くは真面目な天文学史研究者)の反応が、興味深いものでした(以下、適当訳)。

まず、大学の人文学部で古典を講じるS教授の意見。

 「これは各大学出版局や、人文専門書のラウトレッジ社にとって、古代のマニリウスやヒュギヌスを素材にした幼児絵本(もちろんラテン語の!)を携えて、児童書マーケットに参入する絶好の機会だろう。あるいは韻を踏んだ哀歌2行連句(elegiac couplets)でもいい。ヤングアダルト向きには、オウィディウスや、他の古典注釈者たちから取った、もっと本格的なテクストもいけそうだ。…」

もちろん、これは皮肉の交じった意見で、つまらない「お星さま占い」の本を垂れ流すぐらいなら、出版社はもうちょっと身になる本を出しなさいよ…と言いたいのでしょう。
これがNASAにも在籍した月研究者であるW博士になると、完全に悲憤慷慨調です。

 「何たることか。未来の世代の愚民化が今や始まりつつある。出版社はジャンクサイエンス――とすら呼べないような代物――を、赤ん坊の真剣な目に触れさせてもお構いなしで、人類を間抜けにすることで得られる利益にしか関心がないのだろうか。我々は1000年におよぶ暗黒時代を経験したが、再び愚昧さに覆われゆく新たな1000年を迎えねばならないのか?ひょっとしたら、高度な生命体は、いずれの場所でも科学を拒絶する時期を迎え、そこから回復することがないのかもしれない。地球外生命探査計画(CETI)が失敗した理由もそれだろう。」

本業は医者であるB博士は、穏やかに諭します。

 「私は孫のために、赤ん坊向けの宇宙物理学の本を買い与えました。アマゾンをご覧なさい。『赤ちゃんのための物理学』シリーズというのが出ていますから。」

最後に場を締めくくったのは、占星術史の研究家で、自身占星術師であるC氏

 「皆さんこの話題で盛り上がっていますが、いずれにしても、ミレニアル世代がほかの世代よりも占星術にのめりこんでるという確かな証拠は何もないんですよ。このストーリーを広めているジャーナリストたちは、お互いの記事を引用したり、占星術に凝っている(大抵はたった一人の)友人の話に基づいて書いているだけですからね。この問題について、きちんとしたリサーチは依然何も行われていないのです。」

いちばんの当事者が、最も冷静だったわけです。
しかし、科学の現場に身を置く人にとって、非理性的な狂信が、再び世の中を覆い尽くすんじゃないか…という不安や恐怖は、かなり根深いものでしょう。科学の歴史は、そうした苦いエピソードにあふれているし、科学者自身がそうしたものに憑りつかれて、道を誤った例も少なくありません。これは確かに用心してかかるに越したことはないのです。

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それにしても、そもそもなぜミレニアル世代は、星占いに凝っているのか?
上記のC氏は、「別に証明されたことじゃないよ」と、そのこと自体に否定的ですが、上の記事からリンクが張られている「The New Yorker」の記事を読むと、いろいろ考えさせられました。

アメリカで1970年代以降、影を潜めていた占星術が復活したのは、スピリチュアルブームと抱き合わせの現象で、不確実性の時代の反映だ…というのは、割と俗耳に入りやすい解釈でしょう。

ただ、それ以上に現代の星占いは、ネット上を伝搬する「ミーム」なんだという識者の意見は、なるほどと思いました。ミーム(ここではインターネット・ミーム)とは、「人々の心を強く捉え、ネットを通じて次々に模倣・拡散されていくもの」を指し、SNSでつい人に言いたくなる面白ネタなんかが、その典型でしょうが、それに限られるものではありません。

記事では、20世紀半ばのパーティーの席では、誰しも「自我」とか「超自我」とか、フロイト流の精神分析用語を使って、盛んにおしゃべりしていたが、今ではそれが星座の名前に置き換わったんだ…という譬えを挙げていますが、これもなかなか言い得て妙です。

確かにミレニアル世代は、星占いアプリをダウンロードして、嬉々として操作しているかもしれません。でも、多くの人はそれを真面目に捉えているわけではないし、パーティーの席上の話題も、星占いから真面目な科学的問題にパッと切り替わったりするので、彼らが特に迷妄な人々というわけでもなさそうです。

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星占いの話題には、きっと集団の凝集性を高め、人々の交流を円滑にする機能があるのでしょう。日本だと、星占い以上に血液型の話題がポピュラーですが、あれも似た理由だと思います。いずれも「差し障りがない」、「無難」というのが特徴で、あるいはアメリカのミレニアル世代も、日本の若い人と同じように、対人的な距離の取り方で、常に緊張を強いられていることの反映かもしれません。

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新たな暗黒の1000年が、まだ当分来ないのであれば、大いに結構なことです。
ただ用心は常に必要です。ナチスの霊的熱狂は遠い過去のことではありません。

星図のポストカード2020年08月23日 11時36分39秒

一昨日のソ連のカード式星図アトラス。
思い起こせば、星座や星図のカードは、世の中にたくさんあります。

最初から観測補助の意図を持った、まじめな星図カードもあるし、ゲーム用カードもあれば、各種のおまけカードもあり、さらに親しい人に送るポストカードもあります。その中から、古い時代のものだけ集めたとしても、なかなか魅力的なコレクションになるでしょう。(自分で集めればいいんですが、カードだけに興味を集中させることも難しいので、これはチラッと思っただけです。)

たとえば…ということで、1枚のポストカードを見てみます。


おそらく1920年代にフランスで出た星図の絵葉書(星座境界がうねうねしているので、確実に1930年以前のものです)。印刷は石版です。


北極星を中心に、5等級までの星がプロットされた、なかなか本格的な星図です。
最大の謎は、これを誰がどういう目的で作ったかです。


「誰が」の方は、パリのポワソニエール大通り5番地にあった「カード美術館(ミュゼ・ド・ラ・カルト)」だと、裏面に書かれています。でも、本当にそんな名前の美術館があったのかどうか。あるいは単なる絵葉書屋の屋号かもしれず、その辺は不明です。そして、これがフランス天文学会とか、カミーユ・フラマリオンの息のかかった団体とかの記念絵葉書として作られたなら分かるんですが、そうした記載はどこにもありません。

いったい何なんでしょうね。熱心な天文ファンだったら、とっくに立派な星図を持っているはずですから、こんな絵葉書に頼る必要はないし、天文ファンでなかったら、この絵葉書に関心を持つ人は少ないでしょう。―いや、実は1920年代のフランスは、こうした絵葉書が日常的に行き来するぐらい、天文趣味に染まっていたのか?

まあ、「謎」というほど大げさなものでもありませんが、中途半端に本格的なだけに、何だか不思議な感じがします。

青い星座カードの話(1)2020年08月24日 06時41分26秒

星図絵葉書から、連想で話題を進めます。
昔々、今から13年前に、以下のような記事を書きました。


■Blue Sky …星座絵はがき

「さて、最近の買い物から。
すっきりとしたデザインの星座絵葉書。版元はカリフォルニアの NATUREGRAPH CO. という会社で、1957年の消印が押されています。
この「いて座」は26番になっていて、シリーズものだったようですが、今手元にあるのはこの1枚だけです。これはぜひ揃えたいですね。」

「揃えたいですね」と言った手前、私は律儀にそろえ始めたんですが、5枚まで集めたところで力尽きました。さすがに、絵葉書マーケットの大海から、単品を掬い上げるのは困難でした。


しかし、この話には続きがあります。

(もったいぶって、この項続きます)

青い星座カードの話(2)2020年08月25日 06時25分36秒

(昨日のつづき)

実はこの絵葉書は、もともと絵葉書ではなく、星座のカードゲームとして売られていたものです。それに気づいたおかげで、私はあっさり全カードをコンプリートしたのでした。


ゲーム名はシンプルに『STAR GAMES』
発行年は1955年で、パッケージのデザインが、いかにも50年代チック。箱の文字は、「星を楽しもう!」「カードと懐中電灯を手に、夜空を探検しよう!」と、子供たちに呼びかけています。

(上段・絵葉書と下段・ゲームカードの表と裏)

中のカードは絵葉書とまったく同じで、唯一の違いは裏面にアドレス欄がなく、真っ白なことです。では、絵葉書とゲームのどちらが先に世に出たかといえば、普通に考えて、ゲームが先で、あとから「おっ、こりゃ絵葉書にも使えるな。もらった人が他のカードも欲しがれば、ゲームの販促にもなるぞ!」と、メーカーが知恵を働かせたのでしょう。年代的にも、それで符合します。


箱の中身は36枚のカードから成ります。そのうちNo.1~No.6は解説カードで、ちゃんとした星図カードは、No.7~No.36の30枚です。

で、これで一体どんなゲームを楽しんだのか?
解説を読むと、いくつか遊び方が書かれていて、「星座名を隠してカードを見せて、その名前を当てっこする」とか、「カードを並べて全天星図を作る」とか、「カードと懐中電灯を片手に、チームに分かれて、どちらがより多くの星座を空に見つけられるか競う」といったもので、まあゲームというよりも、これは星座の学習ツールですね。

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こうして、あっさり全カードを手にして満足したのですが、カードの方はさらに変化を遂げて、再度私の前に立ち現れたのでした。

(この項、さらにつづく)

青い星座カードの話(3)2020年08月26日 06時17分47秒

(昨日のつづき)

1955年に登場した『STAR GAMES』。
この心憎い星座カードは、1974年に『CONSTELLATION』と名前を変えて、改訂版が売り出されたことを、その後知りました。


カードの構成はまったく同じ。6枚が解説カードで、30枚が星座カードです。
しかし、一見すると同じに見えるこの2つのセット、もういっぺん見ると明らかに違います(改訂版たるゆえんです)。


上は1955年版、下は1974年版のしし座。
地色が紺から明るい青に変わったのもそうですが、星座の表現がよりポップになっています(フォントもゴチックになりました)。時代の空気に合わせて、アップデートしたわけです。(※)


そんな違いはありますが、版権表示を見れば、両者はやっぱり同一製品だと分かります。ただ、版権保有者が、版元の Naturegraph 社から、著者である Vinson Brown 氏個人に移動していますが、これはたぶん税金の絡みか何かで、ネイチャーグラフ社は、ブラウン氏の個人会社だと思います。

さらにその後、この1974年版は、1988年まで版を重ねていたことを知りました。

(参考写真。eBayに出ていた1988年版。中身は1974年版と全く同一のようです)

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ここで改めて、一連のカードゲームの著者であるブラウン氏について調べてみます。
ネット情報によれば、ヴィンソン・ブラウン(Vinson Brown 、1912-1991)は、カリフォルニアのナチュラリスト/人類学者。ネイティブ・アメリカンの文化と信仰に一生涯興味と敬意を抱きつづけ、出版人として、また自ら執筆者として、37冊の本を上梓した。」という経歴の人だそうです。

となると、ブラウン氏は単なるゲーム屋の親父さんではなく、深い思慮があって、この星座カードを作ったのであろうと、ボンヤリ想像されました。そして、最晩年までそれを出版し続けたことから、ブラウン氏の思い入れの深さも感じました。
これまた星と人のかかわりを窺わせるエピソードには違いありません。

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こんなふうに1枚の絵葉書からスタートして、一人の人間の生きざまにまで心の視野が広がるならば、このちっぽけなブログを続けることにも、多少の意味がある…と、ひそかに思います。

(この項おわり)


(※注) 1955年版は、H.A.Rayの『THE STARS』の星座絵を、1974年版は、W.T.Olcottの『Field Book of the Skies』(第4版)の星座絵を参照したことが、解説カードには書かれていました。

(H.A.Ray 『THE STARS』 表紙)

桐一葉2020年08月28日 22時11分55秒

今日、ひとつの時代が終わりました。

私にも惻隠の情はあれど、しかし、どれだけ悪事が露見しようが、人が死のうが、頑として辞めなかったのに、自分の健康状態が傾けばあっさり辞めるんだな…と、多少皮肉の混じった気持ちになるのを抑えがたかったです。そしてまた、それ以外に辞めさせることができなかったことに、少なからず苦いものも感じます。さらにまた、これですべてが水に流れるわけでもないと、これはきっぱり言っておかなければなりません。

ともあれ、ひとつの時代が終わりました。

この世の思い出に、私は引き続き人間社会の観察に励むつもりです。
今日も帰りの電車の中で、周りの人々の様子に気を配っていましたが、あまりにもいつもと変わらない様子だったので、逆に驚きました。世の中は私が思ったよりも頑健なのかもしれない…と、これは早速今日気づいたことです。

オーラリーを手に、ちょっと月まで(前編)2020年08月29日 16時47分22秒

しばし暢気に記事を書きます。

今週、エヴァンゲリオン(ヱヴァンゲリヲン)の新劇場版をNHKでやっていて、往時の記憶を新たにした人も多いんではないでしょうか。オリジナルのテレビ版が放映されたのは、今から25年も前ですから、ずいぶん昔のことです。

ストーリーもさることながら、私が個人的に強い印象を受けたのは、エンディングで「Fly Me to the Moon」が流れたことで、あの番組でこの曲を知った人も少なくないでしょう。無数のアーティストがカバーした名曲ですけれど、カッコよさという点では、フランク・シナトラに軍配が上がります。あの伊達な歌いっぷりはテープに吹き込まれて、アポロ10号と11号に乗って実際月まで行った…というのも、悪くないエピソードです。

(動画にLINK

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ここまでは前置きで、以下本題。

フランク・シナトラ(1915-1998)には、同名のフランク・シナトラ・ジュニア(1944-2016)という息子がいて、やっぱり歌手として活躍しました。亡くなったのは2016年、わりと最近のことです。

ジュニアの死後、その遺品の査定を行ったのがJason Preston Art Advisory & Appraisals社で、相続対象とならなかった物品の販売を任されたのも同社です。相続対象とならなかったぐらいですから、まあ十把一絡げの感はありましたが、それらはeBayで大規模に販売され、私もそのひとつを入手した…というのが話の本題。2017年のことです。

それは1台の折り畳み式オーラリーでした。

(木星と土星を支えるアームが折尺のようになっています)

別に古いものではなくて、現代の復刻品ですが、何せジュニアの向こうには御大が控えているし、少なからず月にちなむ品なので、「Fly Me to the Moon...」とハミングしながら眺めるには、格好の品と思ったわけです。

(モノの紹介は次回に回し、この項つづきます)