戦後の幻燈文化2009年11月17日 22時11分27秒

11月14日の記事のコメント欄で、こんなやりとりがありました。

○S.U氏 「私の幼稚園の頃は、『幻燈会』が『全盛』で、私も大好きでした。紙芝居よりも相当ハイテクだと思っていました。たしか当時の媒体はロールフィルムで、幼稚園に何十本かストックされていたように思います。」

○私 「今、1955年に刊行された教育用品の総合目録を見たら、視聴覚教材の項に、驚くほど大量の「幻灯画」が掲載されていました。ページ数にして65ページ、ざっと5000タイトル。一方、紙芝居は僅かに3ページ、映画でも12ページの扱いですから、当時いかに幻燈が多用されたか分かります。」

明治30年代にブームを巻き起こした幻燈は、さらに学校教育の場へと進出し、戦後になってからも、大いに子供たちの心を引きつけていたようです。残念なことに、私自身はギリギリのタイミングで、その末葉に連なることができず、幻燈会の記憶はほとんどありません。(もちろん、時代が平成になってからでも、「何でもパワーポイント」になる前は、スライドが大活躍していたわけですが、それはひとまずおきます。ここでは視聴覚教材や娯楽メディアとしての幻燈について述べます。)

上の画像は、件の目録の一部、小学校の理科に関するページですが、こんな調子で延々65ページを埋め尽くしているのですから、その隆盛ぶりがお分かりいただけるでしょう。これを眺めていると、自分では見たことがないはずなのに、何だか私も暗い教室で、みんなと一緒に固唾をのんで画面を覗きこんでいたような気がしてきます。

全般に懐かしさを感じさせるタイトルの中で、保健衛生分野のものには、いかにも時代を感じさせる題名が目につきます。

曰く、「元吉の武者修行―赤痢退治の巻」とか、「夫婦虱」(「めおとじらみ」と読むんでしょうか?)、「悪魔は夜来る」(何ですかね?これも衛生害虫の話?)、「我輩は結核菌」(笑)、そして「蛔虫じいさんの夢」(笑笑)、等々。

わずか半世紀とはいえ、ことこの分野については、現実も、人々の意識も、すっかり変わったなあ…としみじみ思います。(…ちょっと、話題がずれました。)

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光と闇の魔術、“magic lantern”。
影絵芝居もそうですが、単なる懐古趣味にとどまらず、幻燈は表現手段として豊かな可能性を秘めているように思います。
幻燈芸術が再度開花し、遠からず夜を愛する全ての人の元に、「幻燈会のお知らせ」が届く日が来る…やもしれません。