コメントへのお返事を兼ねて②…足穂のラジオ出演? ― 2010年04月26日 06時53分43秒
(元記事は3月28日 http://mononoke.asablo.jp/blog/2010/03/28/4980540)
S.Uさんから、昨日以下のようなコメントをいただきました。
「稲垣足穂が昭和10年前後の七夕の時期に、ラジオ出演をしたことがあるだろうか?」という問題提起です。これはコメント欄に置いておくと、識者の目に触れずに終わってしまう可能性が高いので、取り急ぎ記事に挙げておきます。
この件については、私自身もちょっと調べてから改めて書き込みをする予定ですが、他の方からもコメント等いただければ幸いです。よろしくお願いいたします。
■□ 以下、S.U氏のコメント再掲 □■
こんにちは。また、こちらにコメントです。
足穂の30代の明石時代の「リアル天文」における「普及活動」についてですが、すでに述べた件について、こちらで調べてもよくわからないというか、取りつくシマもないことがあるので、ぜひ、玉青さん、それから世の学識の方々のお知恵を借りたいと思い、ここに報告をさせていただきます。以下、少し長くなりますが、ご容赦ください。
それは、上(4/8のコメント〔3月28日の記事に4月8日にいただいたコメント―引用者〕)に書いた「稲垣足穂出演のラジオ放送」の件です。「北落師門」という私小説に、主人公「私」の友人「忠郷」の姉という人が出てきて、会話体で、「私」がラジオ出演して「棚機」のころに天文と文学について語る予定である、という話が出てきます。会話体なのでいまひとつ明瞭ではありませんが、他の解釈はできないように思います。
この「私」は足穂で、時期は彼が明石で望遠鏡を買った後の明石在住中ということのようです。昭和10年の可能性が最も高く、昭和9年、11年の可能性もあります。(彼の小説や年譜にはこのへんで1年程度の矛盾があることがあります)
当時のラジオ局としては、日本放送協会大阪放送局(JOBK)(神戸に支所があった)しか考えられないので東京朝日新聞の番組表を見てみましたが、足穂の名前は見つけられていません。七夕前後に特別講義番組がありましたが、足穂の名前は出ていませんでした。でも、別の番組の可能性もあり、また、新聞に載っているのはごく一部の番組だけなので、これだけでは足穂がラジオに出ていないという証拠にはなりません。
当時の足穂は、明石でぶらぶらしているだけのアル中の人だったので日本放送協会から声がかかるかあやしいようにも思いますが、たとえば野尻抱影が『星座巡礼』出版後すぐにラジオ番組のレギュラーになっていることを考えると、すでに星に関するユニークな小説を何編も世に送っていた足穂にもラジオ出演の声がかかる可能性は十分にあったと考えます。足穂が実際の星座を憶え始めたのは昭和7年頃のことでしたが、このころ彼は暇だったので、2~3年で一通りの星座は憶えていたことでしょう。また、母親や知人に望遠鏡で月を見せたり、星について語ったりしているので、そういう知識を人に広めたいという気持ちは持っていたと思います。野尻抱影の影響もあったでしょう。
それでは、当時の足穂の年譜、ラジオ放送についてご存じのことがありましたらお知らせください。私の根拠の無い勘では、このラジオ出演の件は、まったくの虚構である可能性が2割、話はあったが実行されなかった可能性が5割、実際に出演した可能性が3割くらいではないかと思っています。
S.Uさんから、昨日以下のようなコメントをいただきました。
「稲垣足穂が昭和10年前後の七夕の時期に、ラジオ出演をしたことがあるだろうか?」という問題提起です。これはコメント欄に置いておくと、識者の目に触れずに終わってしまう可能性が高いので、取り急ぎ記事に挙げておきます。
この件については、私自身もちょっと調べてから改めて書き込みをする予定ですが、他の方からもコメント等いただければ幸いです。よろしくお願いいたします。
■□ 以下、S.U氏のコメント再掲 □■
こんにちは。また、こちらにコメントです。
足穂の30代の明石時代の「リアル天文」における「普及活動」についてですが、すでに述べた件について、こちらで調べてもよくわからないというか、取りつくシマもないことがあるので、ぜひ、玉青さん、それから世の学識の方々のお知恵を借りたいと思い、ここに報告をさせていただきます。以下、少し長くなりますが、ご容赦ください。
それは、上(4/8のコメント〔3月28日の記事に4月8日にいただいたコメント―引用者〕)に書いた「稲垣足穂出演のラジオ放送」の件です。「北落師門」という私小説に、主人公「私」の友人「忠郷」の姉という人が出てきて、会話体で、「私」がラジオ出演して「棚機」のころに天文と文学について語る予定である、という話が出てきます。会話体なのでいまひとつ明瞭ではありませんが、他の解釈はできないように思います。
この「私」は足穂で、時期は彼が明石で望遠鏡を買った後の明石在住中ということのようです。昭和10年の可能性が最も高く、昭和9年、11年の可能性もあります。(彼の小説や年譜にはこのへんで1年程度の矛盾があることがあります)
当時のラジオ局としては、日本放送協会大阪放送局(JOBK)(神戸に支所があった)しか考えられないので東京朝日新聞の番組表を見てみましたが、足穂の名前は見つけられていません。七夕前後に特別講義番組がありましたが、足穂の名前は出ていませんでした。でも、別の番組の可能性もあり、また、新聞に載っているのはごく一部の番組だけなので、これだけでは足穂がラジオに出ていないという証拠にはなりません。
当時の足穂は、明石でぶらぶらしているだけのアル中の人だったので日本放送協会から声がかかるかあやしいようにも思いますが、たとえば野尻抱影が『星座巡礼』出版後すぐにラジオ番組のレギュラーになっていることを考えると、すでに星に関するユニークな小説を何編も世に送っていた足穂にもラジオ出演の声がかかる可能性は十分にあったと考えます。足穂が実際の星座を憶え始めたのは昭和7年頃のことでしたが、このころ彼は暇だったので、2~3年で一通りの星座は憶えていたことでしょう。また、母親や知人に望遠鏡で月を見せたり、星について語ったりしているので、そういう知識を人に広めたいという気持ちは持っていたと思います。野尻抱影の影響もあったでしょう。
それでは、当時の足穂の年譜、ラジオ放送についてご存じのことがありましたらお知らせください。私の根拠の無い勘では、このラジオ出演の件は、まったくの虚構である可能性が2割、話はあったが実行されなかった可能性が5割、実際に出演した可能性が3割くらいではないかと思っています。
コメント
_ S.U ― 2010年04月26日 21時08分05秒
_ 玉青 ― 2010年04月27日 18時52分46秒
足穂とラジオ。
タルホの語る宇宙論が、鉱石ラヂオから聞こえてくる星夜。
―なんと素敵なイメージでしょう。
つらつらおもんみるに、現時点ではやや虚構説に傾きつつあるのですが、そうした美しいイメージを一読者に喚起した彼の手並みは、やはり大いに是とすべきかと。
タルホの語る宇宙論が、鉱石ラヂオから聞こえてくる星夜。
―なんと素敵なイメージでしょう。
つらつらおもんみるに、現時点ではやや虚構説に傾きつつあるのですが、そうした美しいイメージを一読者に喚起した彼の手並みは、やはり大いに是とすべきかと。
_ S.U ― 2010年04月27日 20時49分41秒
確かに、イメージが美しければ、虚構であってもいいですね。足穂がラジオで宇宙について語ったことは、別の世界の地球上には事実として残っているかもしれません。
ところで、重要な点を見過ごしていました。それは、『婦人の時間』で話をすることになっているらしいと言うことです。NHK「婦人の時間」は戦後の番組ですが、戦前には「家庭婦人の時間」という番組があったようです。このへんはとっかかりにはなりませんでしょうか。
ところで、重要な点を見過ごしていました。それは、『婦人の時間』で話をすることになっているらしいと言うことです。NHK「婦人の時間」は戦後の番組ですが、戦前には「家庭婦人の時間」という番組があったようです。このへんはとっかかりにはなりませんでしょうか。
_ S.U ― 2010年04月28日 19時47分41秒
玉青様、皆様、ご協力どうもありがとうございます。
捜索網を広げたら、新聞の番組欄に見つかりました。前は、第二放送を重点的に見ていて見逃していました。昭和11年7月6日午前10時30分の「第一放送」にありました。”URL”にコピーを載せます。
次は、この放送内容やら出演の経緯が問題になります。もう少し追求を続けたいと思います。ご協力をよろしくお願い申し上げます。
足穂の私小説の記述が史実にかなり正確に合っていること、明石を去る直前のどん底の時期にラジオ放送という「公」の場に出ていること(招かれていること)に感激しました。
捜索網を広げたら、新聞の番組欄に見つかりました。前は、第二放送を重点的に見ていて見逃していました。昭和11年7月6日午前10時30分の「第一放送」にありました。”URL”にコピーを載せます。
次は、この放送内容やら出演の経緯が問題になります。もう少し追求を続けたいと思います。ご協力をよろしくお願い申し上げます。
足穂の私小説の記述が史実にかなり正確に合っていること、明石を去る直前のどん底の時期にラジオ放送という「公」の場に出ていること(招かれていること)に感激しました。
_ 玉青 ― 2010年04月28日 20時27分21秒
>次は、この放送内容やら出演の経緯が問題
本当ですね。いったいどうしてそんなことが可能だったのでしょうか。
抱影の場合にしても、愛弟子の小森幸久が当時のJOAKに勤務しており、その推挙があったという「人の縁」があったから実現したそうですが、足穂の場合は…?そこが大きな謎ですね!
本当ですね。いったいどうしてそんなことが可能だったのでしょうか。
抱影の場合にしても、愛弟子の小森幸久が当時のJOAKに勤務しており、その推挙があったという「人の縁」があったから実現したそうですが、足穂の場合は…?そこが大きな謎ですね!
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