博物趣味の欠片…ブベ商会の岩石標本 ― 2013年12月14日 16時13分54秒
Antique Salonさんの棚でパッと目に付いた品。
濃い緑の箱に入った岩石標本。
私は格別岩石が好きというわけでもないですが、こういった、いかにも「標本の相貌」をしたものに弱くて、機会があるとつい買ってしまいます。
内容は、花崗岩、微花崗岩、ペグマタイト、輝緑岩、粗面岩…などなど。全部で25種類の岩石が、さらに小さな箱に入ってきっちり収まっています。
外箱の蓋に貼られたラベル。パリの老舗博物商、ブベ商会の名前が見えます。
タイプ打ちの内容一覧。大半はフランス国内で採取されたものですが、アメリカやイタリア産の石もまじっています。
こちらはイタリア産の軽石。小箱の中にも外箱に貼られたものと同じ体裁のラベルが入っています。
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先日のオゾーに続き、今日はブベ商会に注目してみます。
同社については以下のページが詳しく、フランス語版ウィキペディアもこれを参照しているので、仮に訳出してみます。
(余談ですが、このサイトを見ると、鉱物趣味の人がいかに標本ラベルを重視しているか分かります。ラベルに書かれたデータが重要であるのは当然としても、さらにモノとしてのラベルそのものに興味を集中させる傾向は、いかにもコレクター気質。)
「ネレ・ブベ教授(Nérée Boubée)は1806年5月12日、フランスのトゥールーズに生まれ、後に高名なナチュラリスト、地質学者、著述家にしてパリ大学講師となった。
1845年、彼はパリに「岩石、鉱物、化石、植物等」を扱う博物学関連の店を「エロッフ社(Éloffe & Compagnie)」名義で開設した。やがて取扱い品目の「等」の前に「貝、鳥類」が加わり、さらに彼の名を刻した顕微鏡の製造をするようになった。ブベの名はエロッフ社のラベルには書かれていないが、その後身の会社(「博物学総本店 Comptoir Central d'Histoire Naturelle」を名乗り、息子のE.ブベが経営した)のラベルには、同社が「エロッフ社という社名で、ネレ・ブベが1845年に創業した」旨が記されている。
ネレ・ブベは自著を何冊か上梓しており、そのうち『誰にでも分かる地質学初歩Géologie élémentaire à la portée de tout le monde』(1838)の中で、「大洪水は彗星が起源」という仮説を述べている。
彼は1862年8月2日に没し(ルションで亡くなり、同地に葬られた)、会社は息子のE.ブベが引き継いだ。E.ブベは社名を「博物学総本店」に変更し、店をエコール・ド・メディシヌ街からプラス・サンタンドレ・デザールに移した。
(シテ島に近い新店舗の位置)
彼は「ナチュラリスト」であり、エロッフ社の後継者であると自ら喧伝した。彼は几帳面なカタログ編者であり、その手になるラベルには、通常その種を記述する長々しい書き込みがあった。だが、1937年以前に彼の鉱物販売の売り上げは皆無に近いまで減少し、その個人コレクションの大半はソルボンヌに売却された。さらに残りの研究用(study-grade)鉱物の在庫を一掃しようと、彼はフレッド・カッシーラー(Fred Cassirer)と組み、カッシーラーの援助でアメリカのバイヤーに残りの鉱物を売り込み、利益を折半することにした。こうしてブベの標本がアメリカにやってきたのである。
E.ブベが亡くなると、会社は三代目のネレ・ブベ2世が引き継いだ。彼は自分の名前にちなんで社名を「N. ブベ社」と改め、科学書の出版部門を大幅に拡張した。三代目が没したのは1960年代のことである。ラベルの中には、ネレ・ブベ2世が店舗をモンジュ街87番地に移し、社名を(少なくとも一時的に)「自然科学ヨーロッパ研究所Laboratoire Européen de Sciences Naturelles」と変更したことを示すものが存在する(本ページの最後に掲げた)。
ネレ・ブベ新出版協会(Société Nouvelle des Editions Nérée Boubée)は、パリのモンジュ街の上記住所及びサヴォワ街9番地に現存している。」
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手元の岩石標本は、ラベルの特徴から見てブベ商会の歴史の末期、1950年代とか、あるいは30年代ぐらいまで遡るかもしれませんが、大体その頃のものなのでしょう。
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ところで、ブベ商会については、以前、奥本大三郎氏が『ファーブル昆虫記の旅』の中で思い出を書かれているのを引用したことがあります。
(http://mononoke.asablo.jp/blog/2007/02/28/1216422)
「このデロールより前、1969年頃に私が訪ねた博物商の店にブベ商会というのがあった。場所はサン=ミッシェルの噴水の裏で、ショー・ウィンドーに、岩石標本を採集するためのハンマーや捕虫網が飾られていて、いい雰囲気であった。昆虫の標本は店内の標本箪笥に納められていて、店員に言わないと勝手に出しては見られないシステムになっていた。」
奥本氏が訪れたのは、モンジュ街に移転する前の、プラス・サンタンドレ・デザールにあった店で、69年といえば既に三代目が没した後かもしれません。
で、奥本氏は「ブベ商会というのがあった」と過去形で書き、また上のラベル・アーカイヴの記事も、現在残っているのはブベ商会の出版部門だけのような書きぶりですが、フランス語版ウィキの注によれば、出版社はサヴォワ街に、博物ショップはモンジュ街にそれぞれ存続していると書かれています。これはぜひともそうあってほしいです。
【付記】
例によってストリートビューで覗き見すると、モンジュ街87番地にはシャッターの閉まった、ちょっと草臥れた店があります。拡大して目を凝らすと、ショーウィンドウには標本や理科模型らしきものが置かれているようにも見えますが、なんだかはっきりしません。
ブベ商会の記憶…ガラスの中に息づく甲殻 ― 2013年12月15日 14時51分42秒
オゾーは解剖模型、デロールは剥製というふうに、各博物商にはそれぞれ得意分野があるにせよ、基本的に「博物」というぐらいですから、その取扱品目は広く万般に及んでいました。デロールにしたって、戦前は剥製商よりも「教材商」の顔の方がメインで、人体模型から物理実験機器、教室用の家具まで、それこそ何でも扱っていました。
(デロールの古いカタログ類)
ブベ商会も事情は同じです。下のページから1938年の同社のカタログをオンラインで読めますが(左側の「View the book」欄から読み方を選択)、おそらくこれも取扱い品目のごく一部に過ぎなかろうと思います。
https://archive.org/details/CatalogueN.Boubee1938
もちろん限られた店舗にその在庫を全部抱えられるわけはないので、同業者の網の目の中で中継ぎや委託販売、OEM生産など、製造から販売まで相当複雑な流通経路があったのでしょう。
ともあれ、博物商が元気だった時代、不思議な器具や珍奇な標本が盛んに流通し、街角のショーウィンドウをにぎにぎしく飾っていた時代が懐かしく、また羨ましく思います。
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そんな時代の形見として、ブベ商会のラベルを貼った品が手元にもう1つあります。
ザリガニの液浸標本。ベルギーの業者から購入した時点では、黄変したホルマリンに漬かっていましたが、輸送途中で液漏れしたため、エチルアルコールに置換してあります。
売り手の説明によれば「1880年のもの」とのことでしたが、ラベルの形式はブベ商会三代目の時代のものですから、そんなに古くはないはず。ただ、この標本壜は<かぶせ蓋に珠型のつまみ>という見慣れた姿のものより古い形式のようでもあり、時代はいくぶんあいまいです。
いずれにしても、彼がずいぶん長い時をこの壜の中で過ごしてきたのは確かです。ガラス越しに戦争や平和を眺めてきたその目は、おそらく私が死んだ後の世界も見つめ続けることになるでしょう。
博物趣味の欠片…薬学の歴史と青い壜 ― 2013年12月16日 20時53分19秒
コルク栓を除く壜の高さは9cm。ちょうど掌にすっぽり入るサイズです。
このコバルトガラスの壜は、肉眼だともっと紫味の強い、深い色合いですが、私のカメラだと単純に青く写ってしまい、画像をいじってもうまく再現できないのが残念。
中身はスペアミント精油。精油そのものはすでに失われており空壜ですが、栓を開けると今でもミントの香りが漂います。
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ラベルの冒頭には、「Pharmacie Centrale de France」と書かれています。この「フランス中央薬局」というのは、1852年に創設された大規模な経営体らしいのですが、詳しいことはよく分からず。でもその名を冠することは、何となく「日本薬局方」のような、「お上公認」的な安心感をかもし出すものだったんじゃないでしょうか。ラベルの下の方には、そのトップを長く務めたCharles Buchet(1848-1933)の名も見えます。
(フランス中央薬局の請求明細書。出典:http://images-01.delcampe-static.net/img_large/auction/000/126/955/803_001.jpg)
シャルル・ブシェはフランス薬史学会の創設にも関わり、フランス薬史学の父と呼ばれる人。考えてみると、こういうハーブ・エッセンスが薬品として扱われること自体、薬学のルーツがどの辺にあるかを、問わず語りに教えてくれるようです。魔法使いのお婆さんがグツグツ薬草を煮込んでいた時代の記憶が、そこにボンヤリ反映しているような気がしてなりません。
博物趣味の欠片…大地縦覧 ― 2013年12月17日 20時51分19秒
『フランス地質図』表紙。
これは「書籍」ではなく、リネンクロスで裏打ちされた1枚ものの地図で、広げると115cm×62cm の大判の図になります。フランス全土をカバーする一連の地質図のうちの1枚で、購入したのはフランス最東端、スイスに程近いナンテュア付近図(この図の右端は一部スイスにかかっています)
部分拡大。
かつて、地質図を見て「サイケデリック」と評した人がいます。なるほど、言い得て妙だと思いましたが、この地質図は全体に渋い配色で、サイケとは無縁の落ち着いた表情をしています。
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フランス語版ウィキペディアの「Carte géologique」の項(http://fr.wikipedia.org/wiki/Carte_g%C3%A9ologique)によれば、フランスの地質図作りの歴史は18世紀中葉から始まり、1841年にはフランス全土をカバーする50万分の1地質図6枚が完成し、さらに1868年、ナポレオン3世の命により、地質図作成局(le Service de la carte géologique)が設置されて、8万分の1スケールの地質図作りが始まりました。その1枚目が出版されたのは1875年のことで、今回購入した地質図もこのシリーズの1枚です。したがって、時代的には19世紀末~20世紀初頭頃のものでしょう。(さらにその後、1913年から5万分の1の地質図作りがスタートした由。)
交差ハンマーの刻印が押されているのは、海賊版などを警戒したものでしょうか。
フランスに限らず、地質図の製作が国家の手で積極的に進められたのは、国力増強と地質把握が不即不離の関係にあったからで、いくら博物趣味といっても、化石やシダの標本と同列にこの図を眺めることはできません。できませんが、私はやっぱり硬質のロマンをそこに感じます。山野を跋渉して大地の歴史を探ることは、国家の思惑を超えて雄大な取り組みだと思うからです。
理科の小部屋に獣は唸り、電気はスパークする ― 2013年12月19日 20時35分58秒
antique Salonさんで購入した博物学の欠片を一通り眺めたので、この辺で久しぶりにフランスの理科室絵葉書でも見てみます。
あきれるほどモノのあふれた理科室(むしろ理科準備室か)。
パリ南西部、イニーの町にあるエコール・サン・ニコラ…というのは、19世紀後半に創設されたカトリック系の私立学校で、画像はその校内に設けられた「物理学・博物学の部屋」(Cabinet de Physique et Histoire Naturelle)を写した絵葉書(1910年頃)。
物理学と博物学という、かなり異質のモノたちが混在している珍しい例です。当時のフランスの絵葉書を見ると、大抵どちらか一方の分野の器具なり標本なりが集められているのが普通ですが、ここは先生の趣味なのか、ちょっと異様な雰囲気になっています。でも、日本的な理科室のムードにはいっそう近いかもしれず、その点でも特異です。
それにしても、ハンティング・トロフィー(猟獣の頭だけの剥製)は日本の理科室にはなじまないでしょうから、これもお国ぶりなのでしょう。
ローエル、日本、フランス ― 2013年12月21日 10時58分18秒
(パーシヴァル・ローエル Wikimedia Commonsより)
パーシヴァル・ローエル(Percival Lowell、1855-1916)の名は、火星、冥王星と分かちがたく結びついています。前者は筋金入りの運河論者として、また後者はその発見プロジェクトを強力に推進した者として。
彼の死後(1930年)に発見された新天体が「Pluto」と命名され、PとLを組み合わせた惑星記号を与えられたのも、彼のイニシャルにちなむ…というのは有名な話です。
(冥王星の惑星記号)
彼は良くも悪くも夢と信念に生きた天文家だったと思います。
彼は良くも悪くも夢と信念に生きた天文家だったと思います。
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さらにローエルは知日家として知られ、前後5回にわたって明治の日本に滞在しました。その縁から日本には「日本ローエル協会」という団体があり、ローエルの顕彰や研究が続けられています。
彼の日本への興味は、もっぱら文化や民俗に対する関心に基づくもので、その方面の著書は、『極東の魂』、『能登 ― 人に知られぬ日本の秘境』のタイトルで邦訳が出ています。さらに、これまで邦訳がなかった主著 『Occult Japan or the Way of the Gods』(1894)も、ついに『神々への道―米国人天文学者の見た神秘の国・日本』(国書刊行会)として、今年の10月に出版され、さらに本書に宗教民俗学的解説を加えた『オカルト・ジャパン―外国人の見た明治の御嶽行者と憑依文化』(岩田書院)も時期を同じうして出るなど、没後100年を控えて、今ちょっとしたローエル・ブームの様相を呈しています。
『神々への道』を翻訳された日本ローエル協会の平岡厚氏から、同書をお送りいただき(私個人あてではなく、日本ハーシェル協会にご恵贈いただいたものです)、私もさっそく拝読しました。
この本は、神道系教団(神習教)や日蓮宗の儀式における憑依現象(神がかり状態)や変成意識状態を、参与観察をまじえて調査研究したもので、その分析の道具立ては、当時の心理学や生理学的知見ですから、いわゆる「オカルトもの」ではありません。
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ローエルのこの本を持ち出したのは、このところ記事の流れがフランスづいていたからです。…というと、いかにも唐突ですが、この『神々への道』には、フランスに対する言及がいくつかあって、そのことをふと思い出したからです。
フランスといえばドイツと並ぶヨーロッパの大国であり、海峡をはさんでイギリスと対峙する国。歴史を顧みればフランク王国の一角として、まあ「西洋そのもの」と言ってもいい国だろうと思います。
ところがローエルは、フランスを西洋世界における異端児と見なしている節があります。たとえば、彼は「日本人は極東のフランス人である」という警句を引用していますが(邦訳192頁)、これは裏返せば「フランス人は西洋の日本人である」ことを意味しており、その精神構造の特殊性をほのめかす言い方です。
その特殊性とは、(ローエルに言わせれば)被暗示性の高さであり、憑依や催眠現象への顕著な親和性です。
フランス人も似たような利他的憑依の傾向を示す。彼等が比較的容易に影響されないのであったならば、メスマー〔…〕は、ウィーンで生計を立てられないこともなく、パリで流行児となることもなかったであろう。シャルコー〔…〕とナンシー〔…〕も現代催眠術の先駆的な名前になることもなかったであろう。(同203頁)
ローエルは、このように18~19世紀のフランスで名を成した催眠術の大家の名前を挙げつつ、「極東民族と女性とフランス人の精神」は「三種の同じ精神」であるとまで言い切っています(同)。さらに彼の筆は、以下のような驚くほど強い言葉でフランスをなじる方向に滑っていきます。
如何なる集団であれ、〔…〕集団全体もまた互いに相異なっている。フランス人とアングロサクソン人とは極めて身近な例を我々に提供してくれる。〔…〕あの偉大なる独創の人イギリス人は、あの猿真似フランス人を心から軽蔑しており、彼等の制度の恐るべき過激共和主義と、彼等が初めて会う人に胸襟を開く際の、あの驚く程不快な態度の、そのいずれの方に、より唖然として立ち辣むかには、自ら知る所がない。(同189-90頁)
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ローエルがこれほどフランス人を嫌った理由は、近親憎悪的なメカニズムによるのかもしれず、実はローエルこそ「アメリカのフランス人」であったのでは…と思わなくもありません。うがった言い方をすれば、彼が火星に運河を見つづけたことは、その被暗示性の高さを示唆するものでしょうし、また一生かけて火星人の存在を追いかけた頼もしい相棒こそ、ほかならぬフランス人のカミーユ・フラマリオン(1842-1925)だったことも、単に偶然とは言い切れないような気がします。
ヴェルサイユ、科学、ジャポニスム ― 2013年12月22日 09時30分12秒
連想尻取り式に三題話を続けます。
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2010年から2011年にかけて、ヴェルサイユで「ヴェルサイユ宮殿における科学と好奇心」という展覧会が開かれていました。17~18世紀の宮廷における、科学の営みと科学者の生態をテーマにした催しです。
私は図録を見てその内容を想像するぐらいですが、今検索してみたら、CGを多用した360度の巨大パノラマ動画の上映があったり、ずいぶん斬新かつ意欲的な展示だったようです。
■関連動画 exposition "Sciences et curiosités à la cour des Versailles"
http://www.youtube.com/watch?v=H8UKUhCh64k
で、その図録の中身なんですが、ヴェルサイユというぐらいですから、当然こういうロココチックなものも登場します。
(18世紀半ばの天文時計)
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しかし、図録の中で私が最も目を奪われたのは、科学と日本趣味が奇怪な融合を見せた一連の科学機器です(以下、装置の名称は適当な仮訳です)。
(上から アルキメデスの螺旋、二重ネジ式プレス、三斜路実験台)
むう、高台寺蒔絵風のこのデザインはいったい…?
19世紀後半、ジャポネズリーやジャポニスムがフランスの美術界を席捲するほぼ1世紀前、こういうベタな日本趣味が彼の地でもてはやされ、しかもそれが科学と結びついていたとは驚きです。
図録には、他にもこの手のモノがごろごろ出てきます。
(真空ポンプ、羅針盤)
(間欠噴水、圧縮噴水)
(左上から時計回りに、人工眼球〔眼球の構造を模した光学装置?〕、燃焼ポンプ、遠心分離機、水ポンプ)
ちょっと中国趣味の混じっているモノがあるのはご愛嬌。
何だか時代劇で、殿様が腰元相手に妙な実験に興じている光景が目に浮かびますが、日本の殿様ならぬ、フランスの王様がこんなものを愛好していたと聞くと、ローエルが言うように、フランス人と日本人の精神構造は似ているのかなあ…と一瞬思います。
しかし、よくよく聞いてみれば、これら一連の物理実験機器は、ノレー神父(Jean Antoine Nollet、1700-1770)という、聖職者にして科学者だった人物の手になるもので、当時の普遍的なデザインというよりは、彼の個人的嗜好のようです。
(ノレーは、パリ大学の初代実験物理学教授になった人で、「ライデン瓶」の名付け親。日本では「百人おどし」の名で知られる静電気実験の発案者でもあるそうです。)
(ノレー神父)
ともあれ、こういう品を見せられると、ヴェルサイユがちょっとだけ身近に感じられるのは確かで、王様の白いかつらを取って、代わりに茶筅まげを結わせてみたくなったりします。
金星、木星、火星のイメージを追う ― 2013年12月23日 09時06分55秒
過去記事フォローシリーズ。
以前、下のような絵葉書を載せました。
以前、下のような絵葉書を載せました。
そのときは、女A 「あら、金星が見えるわ」、女B「 あたしの方は木星が見えるわ」、男 「おいらにゃ火星が見えるよ」 …という掛け合いの、結局何がオチになっているのか、なんで男が火星を持ち出したのかよく分からんなあ…というところで話が終わっていました。
★
一昨日、その謎を解くヒントとなりそうな、こんな絵葉書を購入しました。
1920年代のこれまたコミカルな絵葉書。
金星、木星、火星を擬人化して、海水浴客に見立てています。
これを見ると、当時は「金星=美女」、「火星=太った猛女タイプ」という見立てが一般的で、前の絵葉書もそれを踏まえたものか…と推測がつきます。また、そこに貧相な男(=木星)を配して、三者をセットにして何か言うというパターンも、一部で流行っていた気配があります。
金星、木星、火星を擬人化して、海水浴客に見立てています。
これを見ると、当時は「金星=美女」、「火星=太った猛女タイプ」という見立てが一般的で、前の絵葉書もそれを踏まえたものか…と推測がつきます。また、そこに貧相な男(=木星)を配して、三者をセットにして何か言うというパターンも、一部で流行っていた気配があります。
このうち「金星=美女」は、Venus が美の女神であることを考えれば、ごく自然です。また、火星が猛々しいのも、Mars が軍神であり、古来凶星とされたので分かる気がします。しかし、それが「太った女性」であるのはなぜか(本来のマルスは、りりしい男神)、また天空を支配するJupiter が、なぜかくも貧相な男となってしまったのか? 実際の火星は、直径でいうと木星の約20分の1、並べばハムスターと相撲取りほど違うはずなので、両者の立場の逆転も気になります。
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謎を解くべく、こうしたマンガ的表現の類例をさらに求めて、「venus jupiter mars comic」で検索したら、こんな画像↓が出てきて、虚を突かれました。
http://www.flickr.com/photos/dtjaaaam/11098118194/
「うむ、結局どの惑星も、大なり小なり火星的であるということか…」と、つまらないところで話を落としてしまいますが、上の謎は謎として真面目に(そんなに真面目でもないですが)考えてみたいと思います。
クリスマス・イヴによせて ― 2013年12月24日 20時37分00秒
化石の幻燈スライド…クリスマスの晩に ― 2013年12月25日 20時07分17秒
やあ、いらっしゃい。この寒空によく来てくれたね。
僕もちょうど話し相手が欲しかったところさ、嬉しいよ。
…え、何か面白いモノはないかって? なんだ、君の目的は、僕よりもそっちか。はは、相変わらずだね。うん、まあ、なくもない。これなんかどうだい?
僕もちょうど話し相手が欲しかったところさ、嬉しいよ。
…え、何か面白いモノはないかって? なんだ、君の目的は、僕よりもそっちか。はは、相変わらずだね。うん、まあ、なくもない。これなんかどうだい?
化石の幻燈スライドさ。世間に化石はたくさん売ってるけど、それを写した古いスライドはちょっと珍しかないかい。種類はよく分からないけど、シダとホタテガイの仲間らしいんだ。
両方ともたぶん20世紀初めごろのものだろう。まあ、化石自体は何万年も、ひょっとして何億年も昔のものだからね、古いことにかけちゃ実物にまさるものはないさ。もちろん資料的価値もね。だけどどうだい、このスライド、見るからに美しいと思わないかい? …ありがとう、君ならそう言ってくれると思ったよ。
それにしても不思議だよね。こんなに鮮明にそこにあるのに、これがすべて幻だなんて。こうして指でなでれば、ザラザラ、ごつごつした感じがしそうじゃないか。それなのに僕の指はツルツルのガラスに触れるばかりなんだ。何だか果敢ないね。…え?果敢ないから美しいって? うん、月並みな表現だけど、これを見ていると、たしかにそんな気もする。
…ああ、風が強くなってきたね。雪でも降り出しそうだ。
ところでこのスライドだけど、どこにもメーカー名の表示がないから、誰か個人が授業の教材か資料用に作ったものだと思う。きっと、100年前のイギリスの学校の先生が作ったんじゃないかな。
ほら、この紙の具合や、欄外の筆跡を見てごらんよ。2枚とも明らかに同じ人物が作ったものと分かるだろう。
+
さて、ここまでは実は話の前置きでね。本文はここからと思ってくれたまえ。
このスライドには、ちょっとした謎があるんだが、分かるかい? …ははは、降参か。まあ無理もない。スライド自体に変なところは何もないからね。
種を明かすと、この2枚のスライドは、別々の業者から買ったものなんだ。二枚貝を売ってたのはイングランドの真ん中、ノーザンプトンシャーの業者で、シダの方はそれよりずっと北、スコットランドに近いタイン・アンド・ウィアの業者さ。君、両者の距離はざっと350キロだぜ。東京と名古屋よりも、もっと遠い。
100年前に作られた化石のスライドが、いつの時代か離ればなれになって、別人の手に渡った。途中何度転売されたか知れない。それが日本の僕のところで、見事再会を果たしたってわけさ。どうだい、クリスマスにふさわしい夢のある話だろう。
…おや、急に黙ってしまったね。ははは、君にもこの謎はちょっと手に余るか。
たしかに、怪談じみた感じもするよね。何か因縁を感じるし、これは例の先生の執心のなせるわざかもしれない。でも、その執心がこれで晴れたなら、やっぱりめでたかろうじゃないか。
ああ、雲が切れたと思ったら、今度はものすごい星空だ。道理で冷えるはずさ。
さあ、熱いのがついたから、今度は君の話を聞かせてくれないか。
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