ジョバンニが見た世界…美しい銀河の写真(1)2012年12月12日 22時26分35秒


そうだ僕は知っていたのだ、勿論カムパネルラも知っている、
それはいつかカムパネルラのお父さんの博士のうちで
カムパネルラといっしょに読んだ雑誌のなかにあったのだ。
それどこでなくカムパネルラは、その雑誌を読むと、
すぐお父さんの書斎から巨きな本をもってきて、
ぎんがというところをひろげ、
まっ黒な頁いっぱいに白い点々のある美しい写真
二人でいつまでも見たのでした。     
(「一、午后の授業」より)

   ★

この話題についても、既に3年前に一通りのことを書きました。
(以下の記事の前後を参照)

■ジョバンニが見た世界…銀河の雑誌と大きな本(3)
 http://mononoke.asablo.jp/blog/2009/12/03/4737414

そこでは、天体写真をふんだんに収めた、一般向けのヴィジュアルな天文学書が1920年代に立て続けに出版された事実に触れ、その具体例を見ながら、カンパネルラのお父さんの書斎にあった本を想像してみました。

一応、話題としてはそれで完結したのですが、その一方で、「銀河鉄道の夜」の作品世界を、現実の世界に当てはめると、1912年頃ではないかという話題がありました。
過去記事の引用ばかりで恐縮ですが、以下がそれです。

■ジョバンニが見た世界「時計屋」編(2)…ネオン灯
 http://mononoke.asablo.jp/blog/2011/11/05/6189331

今回は、そのずれを埋め、1912年当時の「美しい」銀河の写真とはどんなものか?という点に、こだわってみたいと思います。
果たして、それはどれぐらい「美しい」ものであったのか?

   ★

残念ながら1912年ちょっきりではありませんが、1913年に出た1冊の銀河の写真集があります。この写真集を見ると、ジョバンニが目にした美しい銀河の光景も、想像がつくように思うので、そのことを書きます。

(この項つづく)

ジョバンニが見た世界…美しい銀河の写真(2)2012年12月15日 11時31分36秒

突発事態が続いてちょっと筆が止まりましたが、話を続けます。

1913年に出た美しい銀河の写真集とは、カリフォルニアのリック天文台が公式刊行物として出したもので、撮影はすべて同天文台のE.E.バーナード(1857-1923)が行いました。バーナードは、もちろんあのバーナード星(アルファ・ケンタウリに次いで太陽に近い恒星)の発見者です。

(黒のシャグラン革装に金文字の重厚な表情。本の高さは30センチの大型本です。)

(タイトルページより)

上の写真でも分かる通り、この本に収められた写真それ自体は、1913年よりもずっと以前、1892年から95年にかけて撮影されたものです。

(1913年当時の天文台スタッフ。女性スタッフも全く同格なのが新しい時代を感じさせます。)

出版当時の台長は、分光観測の大家、ウィリアム・キャンベル(1862-1938)。
スタッフのリストには、肝心のバーナードの名前がありませんが、これは彼がリック天文台で活躍した後、1895年にシカゴ近郊のヤーキス天文台に転出したためでしょう。

   ★

さて、肝心の中身を見てみます。
この写真集の体裁は、下のように見開きで、右側に図版、左側に解説が書かれています。

(カシオペヤ座デルタ星付近)

Wの形をしたカシオペヤ座の、左側の「谷」の頂点に位置するのがデルタ星で、固有名はルクバー。右頁の写真(実寸は横17.5cm、たて18.0cm)の中央やや右上寄りに、一際明るく写っているのがそれです。
この写真は、1894年2月2日に、3時間の露出をかけて撮影されました。

(デルタ星周辺接写)

上の写真は、オリジナル図版の一部を拡大したもので、原寸はおよそ5cm×3cmの領域です。その中に、これだけの星を写し込み、そしてそれを印刷で表現しているのですから、これは手放しで称賛してよいでしょう。もちろん学術的にも貴重であり、そして文句なしに「美しい」。

   ★

1913年といえば、すでに写真の複製は、網点(ハーフトーン)印刷に移行した時期です。しかし、この写真集は、無数の微小星を含むその題材からして、網点での再現がまったく不可能だったため、当時存在したあらゆる印刷技法を試した末に、コロタイプ印刷(※)を採用して制作されました。

(※)コロタイプ印刷については、以下に書きました。
  http://mononoke.asablo.jp/blog/2009/04/25/4266284

そのコロタイプ印刷も、並みの業者では歯が立たず、最終的にシカゴで名人級の職人を見つけて、やっと納得のいくものができたという曰くつきのものです。
撮影から写真集の発行まで、20年近くかかったのは、ひとえに印刷自体がとびきり難仕事だったからです。

そんなこんなで非常に見応えのある写真集なので、もうちょっと中身を見ておきます。

(この項つづく)

12月の星の句、星の歌2012年12月16日 12時31分59秒

いよいよ選挙です。

かつて、これほど争点が多岐にわたった選挙があったかどうか、一寸記憶にありません。もちろん、これまでも国民の生活を左右する重大事はたくさんあったわけで、以前、郵政民営化が争われたときのように、過度に状況を単純化した政治ショーが行われることの方が異常なのでしょう。その意味では、今の方があるべき姿という気がします。確かに分かりにくい選挙ではありますが。

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心を落ち着かせるために、今日の朝日俳壇・歌壇から。

○稲畑汀子氏 選
 
 いちめんの星冬めける夜空かな (東京都)長谷川弥生

都会地で暮らす人にとって、「夜空に星が明るく光って見える」という体験ができるのは、事実上冬だけでしょう。毎年のことながら、秋から冬になり、一気に夜空がにぎやかになる様は、いくつになっても嬉しく、新鮮な感動を伴うものです。
一読了解できる平明な句ですが、こういうふうに散文で書くと長くなることを、短く平明に詠むのはなかなか難しいものです。

○高野公彦氏 選
 
 西空に冬の六角東には春の曲線走る払暁〔ふつぎょう〕 (神戸市)有馬純子

<選者評>
 第一首、暁の冬の大六角(シリウス、リゲル、カペラなどが形作る六角形)と、春の大曲線(北斗七星から牛飼い座、スピカを結ぶ長大な曲線)を詠んだ爽快な歌。

身体が芯から凍る冬の夜明け前、人知れず天空で演じられる雄大な星のドラマ。
西に傾く冬の主役たちと、東から立ち上る春の主役たちの鮮やかな交代劇。
そこに早くも春の予兆を感じ取った作者の感動。
「冬、東、春、走る、払暁」という「は行音」の連続と、「六角、曲線、払暁」という促音・拗音の連なりが織りなす、心地よい音のリズム。
そういった一連のものが相まって、この歌に一種の爽快味を与えているのでしょう。


(なお、ジョバンニの話題はこの後まだ続きます)

ジョバンニが見た世界…美しい銀河の写真(3)2012年12月17日 23時31分29秒

選挙が終わりました。
多くを語りませんが、本当に民意が反映されたのかどうか、やはり小選挙区制には問題が多いように感じました。

   ★

さて、この写真集のデータを書いてなかったので、改めて記載しておきます。

Edward E. Barnard,
 Photographs of the Milky Way and of Comets Made with
 the Sinx-inch Willard Lens and Crocker Telescope 
 during the Years 1892 to 1895.
 (Publications of the Lick Observatory, Volume XI)
 University of California Publications (Sacramento), 1913.

この本は、解説ページと図版ページの裏が白紙になっているので、通常の本と同じようにページ数をかぞえることができません。
図版数でいうと、星野写真が88枚、彗星の写真が39枚、月の写真と日食写真が各1枚、さらに撮影に使われた「クロッカー望遠鏡」とドームの口絵写真を合わせて、総計130枚の写真が収録されています。


(口径6インチ=15センチのクロッカー望遠鏡とそのドーム)

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内容サンプルとして、前回のカシオペヤ座よりも、もっと星の密度が濃い、まさに銀河の只中を捉えた写真をみてみます。我らが銀河系の中心方向に近い、いて座のM22近傍の写真です。


中央左上寄りの球状星団がM22。その左下にひときわ明るく輝いているのは、いて座ファイ星。撮影の際のハレーションで、3.7等級の「実力」以上に明るく写っています。



虫眼鏡越しに見た銀河。
この辺りは、さすがに個々の星像に分解することはできません。見渡す限り星の雲です。

   ★

この写真集は、その学術的な性格や、コロタイプ自体が大量印刷に向かなかったこともあって、比較的少部数が、各国の大学や研究機関に所蔵されただけだと思います(手元にあるのも、スミソニアン協会図書館旧蔵本です)。

したがって、専門の天文学者とは思えないカンパネルラのお父さんの書斎に、これと同じものがあったとは考えにくいのですが(まあ、フィクションなので、そうむきになる必要もありませんが)、ジョバンニが目にし得た、当時最も美しい銀河の写真とは、きっとこのようなものであったろう…ということは言えると思います。

古書の来歴…寒夜に北海道を思う2012年12月19日 21時53分48秒

各図書館はしばしば蔵書整理を行うので、古書市場には図書館から放出された本が、それこそ無数に流通しています。しかし、どの図書館から出た本であるかは、あまり重要な情報ではないのか、古書カタログでも大抵は「Ex-library」としか書かれていません。したがって、実際に本が手元に届いて、初めて予期せぬ驚きを感じることもしばしばです。

一昨日の銀河の写真集には、スミソニアン協会図書館と米連邦議会図書館のスタンプがありました。



だからどうだ…ということもないのですが、「この本は一時あの名高い場所にあったのか」と思うことで、なにがしかの感興を催すこともないではありません。

   ★

日本で購入した本でも、似たようなことは起こり得ます。
例えば、以前、札幌の古書店を通じて古い地図帳を購入したことがあります。

(John Bartholomew(編)、The Student’s Atlas. 1871)

(カラフルに彩色されたスイスの地図)

古書店のカタログには何も書かれていませんでしたが、表紙を開くと…


そこには「開拓使」の朱印がポンと捺されていました。
そんな歴史的存在が(北海道開拓使が置かれたのは明治2年~15年までです)、平然と本の中から顔を見せたことに、少々うろたえました。

この地図帳は、文字通り学生用のコンサイス版なのでしょうが、ひょっとしたら北海道の近代化に少なからず功があったのかも…。いや、それどころか、この本には北海道の歩みそのものがギュッと詰まっているのかもしれない…。

べたべた押された蔵印を見ていると、そんな気さえしてきます。



(「北海道庁図書之印」。北海道庁は明治19年(1886)の設置)

(「北海道学芸大学所蔵図書印」。同大学は昭和24年(1949)に道内の旧師範学校を統合して設立。現・北海道教育大学)


驚くべきことに、この本は開拓使が入手した時点ですでに古本で、もとはニューヨークの古書店の棚に並んでいたようです。
いったい私のもとに来るまでに、何人の手を経てきたのか?

(付記: …と思ったけれども、よく見たら「古書店」とは名乗っていないので、当時は新本屋でもこういうラベルを貼ったのかも。)
(付記2: Van Nostrand は有名な理工書の版元だそうです。  
  http://www.nnp.org/nni/Publications/Dutch-American/vnostrand.html

   ★

その因縁の深浅は知らず、その興趣はいよいよ深いと言わねばなりません。

(北海道はまだ「YESSO 蝦夷」)

かぼちゃ、明治博物風。2012年12月21日 20時39分50秒

今日は冬至。
季節の風物詩、カボチャからの連想で記事を書きます。

天文古玩的にカボチャというと、1枚の古い掛図が思い出されます。

(明治6年刊、「第二博物図」。 出典: 国立公文書館デジタルアーカイブ
 http://www.digital.archives.go.jp/gallery/view/detail/detailArchives/0000000933

(上記部分図)

   ★

明治の始め、初等教育の場に初めて自然科学が登場したとき、何をどう教えればいいのか、極端に言えば、誰も知りませんでした。西洋の科学啓蒙書の翻訳・翻案は、続々と行われていましたが、まったく素養のない子供たちに、新時代の学問をどう教えるべきか?

そこに登場したのが掛図です。
掛図は当時、西洋の学校でも盛んに使われていたので、お手本には事欠きませんでした(直接的には、アメリカの掛図が参照されたようです)。また日本の場合、昔から絵解きの伝統があったので、それを受け入れやすい素地があったのかもしれません。
掛図は子供たちの視覚と好奇心に訴えようという、いわば明治版AV教材。


(↑玉川大学教育博物館で平成15年に開催された、『明治前期教育用絵図展』の図録。同じく平成18年開催の『掛図にみる教育の歴史』図録と併せて、明治期の掛図について知るには便利な1冊。)

   ★

博物掛図で興味深いのは、大根やスイカやカボチャなど、誰でも知っている卑近なものを、改めて「学問」の対象として、その俎上に載せていることです。
青物屋の店先にゴロゴロしているものが、多様な植物の姿を学ぶ生きた教材として提示されたとき、そこに新たな価値と意味が生まれた…とすら言えるでしょう。

博物掛図には、遠い異国の見慣れない獣類なども登場するのですが、しかし野菜に限らず、「雑草」や「虫けら」など、子供たちの身の回りの生物が、新たに「観察と学習」の対象として取り上げられたことは、「自然科学的態度」の涵養に、いっそう大きな意味があったはずです。

いわば博物掛図は、新たな科学的認識の先兵でもあったのではないでしょうか。

   ★

例によって大上段に振りかぶって論じていますが、本当は文明開化の日本で、サイエンスと木版摺りの伝統が融合し(さらに細かく見ると、図自体も銅版墨刷と木版色刷の和洋折衷です)、興味深い一連の作品が生まれたことを指摘し、その鑑賞に徹したほうが滋味豊かかもしれません。博物掛図には、それだけの「味」がありますから。

ただ、その「味」を知るには、やはり現物を手にしたいところ。
しかし、明治初期の掛図は、今や立派なミュージアムピースですから、それを入手することはきわめて困難です。私もハナから諦めていましたが、その後、意外な形でその壁が崩れたので、そのことを以下に書きます。

(この話題つづく)

京都骸骨事件始末2012年12月22日 09時41分47秒

(カボチャの話の続きを書くはずでしたが、非常な衝撃を感じたことがあるので、記事を差し替えます。)

自ブログの過去記事を読み返して面白いと思うことは、あまり無いとはいえ、一寸はあります。さっき、ふとしたきっかけで見直して面白かったのは、以下の記事。

■「骸骨 (がいこつ)」 が窓から外をのぞいています!
 http://mononoke.asablo.jp/blog/2010/07/03/5197479


京都の町中にある新道小学校で、3年前に起きた奇怪きわまる事件について、同校のサイトから引用しつつ、記事を書かせていただいたのですが、その事件自体ひじょうに興味深いものでしたし、コメント欄にも私の異常な嗜好が横溢していて、しばし愉快の感を催したのでした。

気になったのは、同校の先生が開始した捜査の結果がどうなったかということです。

そこで、2年ぶりに同校のホームページを訪れて愕然。
そこには「閉校に伴い平成23年度のトップページは、空になっています」の文字が!なんと、あの骨格模型事件で揺れに揺れた新道小学校は、平成23年3月末をもって閉校になったというのです。

結局、骨格模型がなぜ動いたのか、いったい誰の仕業であったのか、本当に理科室の怪人はいたのか、全ての謎は千年の古都の闇の向こうに永遠に消えたのです。
何という痛恨事でしょうか。

   ★

それにしても、現在の日本では小学校がものすごい勢いで減少しつつあり、それとともに古い理科室が次々と無に帰している現実を知って、暗澹たる気持ちになりました。
(もちろん理科室よりも子どもの減少をまず憂うべきですが。。。)


(付記: 事件自体は3年前の出来事なので、表現を一部修正しました。)

明治の Kawaii 博物掛図2012年12月23日 10時08分52秒

(一昨日の記事のつづき)

いとおしい明治の博物掛図。その現物を手元において、その妙を味わう。
常識的には難しい課題ですが、そこは蛇の道はヘビ。
こんな可愛い抜け道がありました。
 

 
松川半山(註解)『博物図教授法(全)』
 岡島宝玉堂、明治16(1883)再版(初版=明治10年)
 18.1×12.3cm

新書版よりちょっと大きいぐらいの、和紙・和本仕立ての本です。
この本は、いわば当時の「先生用虎の巻」で、掛図に描かれた対象を挿絵入りで説明した解説書。そして、ご覧のようにオリジナルの掛図を縮小した、木版多色摺りのミニアチュ-ルが収められています。

昨日のカボチャの掛図も以下の通りばっちり。
 


 もちろんオリジナルほどの細密さはありません。
しかし、この雛道具のような掛図は、愛らしさにおいて、オリジナルよりもむしろまさっているかもしれません。

愛しさのあまり、たくさん写真を撮ったので、いっぱい貼っておきます。
 
(「第四博物図」)

左にちらっと見えているのは、上掲書の続編で、同じ著者による『博物図教授法(動物第四・動物第五・植物第五 全)』(明治16年再版;初版は明治12年)です。

そもそも、明治の博物掛図は「第一博物図」~「第五博物図」の植物篇5図と、「動物第一」~「動物第五」の動物篇5図計10図からなります。
上に書誌を挙げた、『博物図教授法(全)』の初版が出た時点では、後から刊行された「第五博物図」「動物第四」「動物第五」の収録が間に合わなかったので、この3図のために続編が作られました。(したがって両方揃わないと、本当の意味での「全」にはなりません。)
 
(上図の拡大。かわいいキノコたち。)
 
(「動物第一/獣類一覧」。明治の子供が初めて触れたであろう元祖・動物図鑑。)
 
(獣類一覧解説ページより。江戸時代の本草書からあまり隔たっていない雰囲気。)
 
(「動物第四/多節類一覧」。まだ標準和名が定まっていない時期の虫名が興味深い。)
 
(これまた極め付きに可愛い「動物第五/柔軟類多肢類一覧」。)
 

タコノマクラにサルノマクラ。後者は今でいうスカシカシパンのことだそうですが、海の生物には、昔から優しい、ユーモラスな名前が多いような気がします。

   ★

なにもなにも ちひさきものはみなうつくし。(枕草紙)

クリスマスイヴ、黒猫にみちびかれて(前編)2012年12月24日 16時19分30秒



鴨沢祐仁さんが24歳のときに描いた、初期の代表作「流れ星整備工場」(1976)。

主人公は(もちろん)クシー君イオタ君
舞台はクールなプラトーン・シティ。
そして季節はクリスマスを目前に控えたある晩です。

森の中の天文台を訪れたふたりは、空に輝く星がすべてプラネタリウムから生まれたものであり、見慣れた市電車庫は、実は流れ星を再生して、もう一度夜空に放つための「流れ星整備工場」だと聞かされて……というファンタジックな作品。
 

発表誌は「ガロ」ですから、もちろん単なる子ども向けの童話ではなくて、いろいろひねった設定や、洒落た小道具が登場します。

そのひとつが、作品の中で重要な役を演じる、1匹の謎めいた黒猫。
クシー君とイオタ君を天文台まで導いたこの猫、実は天文台の主・キセノン博士の愛猫(名前はテクネチウム)だったことが、途中で明らかになります。
 


    ★

さて、クシー君たちが「黒猫のしっぽ線」に乗り込んだころ、
ちょうど私の前にも黒猫が…

(後編につづく)

クリスマスイヴ、黒猫にみちびかれて(後編)2012年12月24日 16時23分21秒

(前編からのつづき)
 

私の前にふと現れたのは、一匹の「眠れる黒猫」です。
 

それも一寸やそっとの眠り方ではなくて、ここ3年間ずっと眠りっぱなしだとか。
 

ショットグラスの中で3年ぶりに開いた金色の瞳。
 

黒猫はゆっくりと灯りに眼をやり、大きく伸びをしたかと思うと―
 

また背を丸めて、静かに寝息を立て始めました。
それを見ているうちに、こちらもいつしか目を閉じて不思議な世界に…。

   ★

何はともあれ乾杯。そしてメリー・クリスマス!


【おまけ】
この酒は、勤め帰りに乗換駅近くのスーパーで偶然見つけました(醸造元サイト)。
しかしその商品タグが、何故か残念なことに。
 

黒猫に安らかな眠りを。。。