真理の火花 ― 2014年12月05日 19時10分23秒
昨日の記事は論旨が不明瞭だったと思います。
もう一遍表現を整理すると、
もう一遍表現を整理すると、
起電機からスパークする静電火花は、時空を超えた真理を体現している。
奇怪な国策も、人間の欲望も、その真理の前では、一瞬の火花に過ぎない。
理科教育とて、国策から自由ではいられないけれども、
それが個人の中で、より大きな真理へと至る契機となってほしい。
奇怪な国策も、人間の欲望も、その真理の前では、一瞬の火花に過ぎない。
理科教育とて、国策から自由ではいられないけれども、
それが個人の中で、より大きな真理へと至る契機となってほしい。
…ということで、最後のは、いわば願望ですね。
(そして、大回りしてぐるっと一周してくると、「奇怪な国策」や「人間の欲望」も、やっぱり真理の一断面だったと悟るに至るかもしれませんが、前途ある少年少女が、そこまで急いで枯れる必要もないでしょう。)
(そして、大回りしてぐるっと一周してくると、「奇怪な国策」や「人間の欲望」も、やっぱり真理の一断面だったと悟るに至るかもしれませんが、前途ある少年少女が、そこまで急いで枯れる必要もないでしょう。)
さて、ここで「満州もの」を続けて見たい気もしますが、写真が間に合わないので、それは後回しにして、別の記事に続きます。
世界の果てへ ― 2014年12月05日 19時12分14秒
ときどき、人はふっと遠くに行きたくなることがあります。すべての日常を捨て、無限の彼方に消え去りたいような気持になることが。私が…というよりも、一般論として、そういうことはあると思います。
それが夢想にとどまらず、現実に失踪する人もいて、今だと精神医学的枠組みで解釈されることが多いのでしょうが、昔は主に宗教的文脈(回心と遁世)、あるいは超自然的文脈(神隠し)で語られました。
人はなぜ遠い世界を目指すのでしょう。
理由は分かりませんが、そうせねばならぬという、理性を超えた衝動が人の心の中に潜んでいるのは確かです。
理由は分かりませんが、そうせねばならぬという、理性を超えた衝動が人の心の中に潜んでいるのは確かです。
1920年代と思われるガラススライド(ドイツ製)。幻燈の種板です。
アルゼンチン南部の海を群れ飛ぶカモメ。
真っ青な空、真っ青な海―。
もうこの先には南極大陸しかありません。
何だか切ない光景だし、寂しい光景でもあります。
何だか切ない光景だし、寂しい光景でもあります。
でも、これを見ていると、「世界の果てへ…世界の果てへ…」と、微かに気持ちが疼くのをふと感じます。
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