アインシュタイン賛江2016年02月12日 17時32分51秒

雑事でバタバタしている間に、世界は重力波観測のニュースで沸き立っています。
重力波はきわめて微弱なものだそうですが、それが宇宙の一角にこれほど顕著な影響を及ぼすということは、物理的な力以外に「情報」というものが、この世界において、いかに大きな役割を果たしているかを示すものではありますまいか。

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重力波の存在を予言したアインシュタイン博士にちなみ、今日はこんな絵葉書です。


これが何かといえば、


「相対性原理を証明したる日蝕写真」だというのです。


東京本郷の矢吹高尚堂製。
この絵葉書の形式は、これが大正7年(1918)~昭和7年(1932)に発行されたものであることを示しています。矢吹高尚堂がどんな店かは知りませんが、たしかに高尚な絵葉書です。


これが問題の日食写真。
本当は真っ暗な太陽本体の周囲を、明るいコロナが取り巻いているはずですが、これはネガなので、明暗が逆転しています。太陽の周囲に描き込まれた「― ―」の記号は、太陽周辺に浮かぶ恒星の位置を示すもの。


そして、こちらが観測の際に使われた機材。
即ち「英国日蝕観測隊の用ゐたる望遠鏡」です。

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調べてみると、これは1919年5月19日の日食の際のもので、英国隊の遠征先は、アフリカ大陸の西に浮かぶプリンシペ島でした。

皆既日食の際に、太陽近傍(といっても実際にはそのはるか向うですが)に浮かぶ恒星の位置を測定したら、理論値よりもほんの僅かなずれが検出され、これこそ太陽が重力レンズの働きをした証拠であり、相対性理論の正しさを証明するもの…と、当時の人々は、100年後の重力波検出と同様、大いに沸き立ったのでした。

この機材を使い、この日食写真を撮った人は、ケンブリッジ大学のアーサー・エディントン(1882-1944)で、エディントンについては、その自筆葉書を偶然手にしたことを、以前記事にしました。

■ケンブリッジ大学天文台
 http://mononoke.asablo.jp/blog/2012/02/08/6326676
■近頃ちょっと驚いたこと
 http://mononoke.asablo.jp/blog/2012/02/09/6327839

(画像既出)

とはいえ、この2枚の絵葉書が私の中で結びついたのは、ついさっきのことです。
それによって、そこに明白な「意味」が生まれ、一人の人間の心にさざ波を立てたとしたら、これまた情報というものの働きを物語るものでしょう。

暗い日2015年09月26日 13時35分42秒

世間の動きとは別に、気ままにモノを買うことは続いています。
しかし、そんな日々の買い物にも、その時々の思いは自ずと反映するものです。


先日届いたガラス製のステレオビュー(19世紀イギリス製)。

普通のステレオ写真は紙焼きですが、これは幻燈スライド風の画面を左右に並べて、光にかざして眺めるようにできています。
なぜこういう手の込んだことをするかといえば(製造費も輸送費も、紙焼きよりずっと高くついたはずです)、同じ絵柄でも、反射光で見るのと透過光で見るのとでは、印象がかなり異なり、それによってリアリティが増したり、モノによっては幻想味が濃くなったりするからではないでしょうか。

―とはいえ、これも今では省みられることのない、過去の視覚玩具に過ぎません。


この朽ち寂びた風情が、今の気分にとてもしっくりきます。
今の私は、いささかデカダンスの気分に流されているのでしょう。

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そこに写っているのは、これまた陰鬱な情景です。
黒い雲に太陽が呑み込まれる寸前の光芒。
これはまさに透過光向けの画題で、この光と影のニュアンスは、反射光ではよく味わえないでしょう。

見かたによっては美しいとも、壮麗とも見えるかもしれませんが、今の私にはひたすら昏く寂しい光景に見えます。でも、その暗さこそが、大いなる慰藉を与えてくれます。

カテゴリー縦覧…太陽・日食編:サンライトイエロー2015年02月26日 07時05分04秒

仕事の方は相変わらずですが、3日間不在にするので、取り急ぎ1回更新します。


太陽と黒点を描いた19世紀半ばの幻灯スライド。
手描きのガラス絵を木枠に嵌めたのは、当時の標準スタイルで、まだ幻灯に写真が応用される前の時代のものです。スライドの丸窓全体を太陽に見立てて絵にしているのが、ちょっと面白い工夫。


木枠にプレスされたメーカー名は、19世紀前半~20世紀初頭まで存続した、ロンドンの科学機器メーカー、Carpenter and Westley。


枠の上部に「5」のナンバリングがあります。
おそらく、セット物の天文教育スライドの内の1枚でしょう。


裏面はこんな感じ。


ガラス絵を別のガラスで覆い、金属環で固定してあります。
こういう風にガラスで絵柄をサンドイッチしてあるものは、一般に保存状態良好ですが、中にはカバーガラスのないものがあって(メーカー製ではない、個人が作製したものに多い)、そういうのは絵の具の剥落が激しく、手元に届いたらガッカリ…なんていうこともあります。


疾走する波紋の源。
山吹色の恒星面でうねり、ねじれる強大な磁場の影。

でも、19世紀人は太陽黒点の正体を知らなかったので、この幻灯上映会を見ても、何となくユーモラスな、どちらかといえば静穏な太陽像を、心に抱いたかもしれません。

博物蒐集家の贈り物(2)…燃える世界2015年02月03日 06時47分40秒

dubhe(ドゥーベ)さの紹介ページは以下。
http://ameblo.jp/salon-histoire-naturelle/entry-11974740018.html

dubheさんからは、激しく燃え、沸き立ち、煙を噴き上げる、太陽の手彩色銅版画を贈っていただきました。

(善き哉、博物学の佳趣…)

原図は綺想の科学者、アタナシウス・キルヒャー(1602-80)の手になるもので、彼の著した『地下世界(Mundus subterraneus)』(1665、1678)に収められています。

一見して強烈な印象を与える図柄で、その訴求力から、後世繰り返しコピーされたようです(日本でも、司馬江漢が「太陽真形図」と称してコピーしています)。そのため、いただいた版画の直接の出所は不明ですが、おそらく1700年代のものの由。


見れば見るほどすさまじい絵です。

でも、太陽が高熱を発する球体であり、地球とは別の世界がそこに広がっていると見抜いた人が、その知識を図示するとしたら、いったい他にどんな絵が描けただろうか…とも思います。

高温を発する現象として、物質の燃焼しか知らなければ(かなり近い時代までそうでした)、太陽では目もくらむほどの火柱が立ち、絶えず煙が上がっていると考えても不思議ではありません。



21世紀を生きる我々だって、光球上にうねる巨大なプロミネンスの写真を見て、漠然と「炎のようなもの」と思っているのではないでしょうか。人間の心の中では、太陽は依然真っ赤に燃えており、このキルヒャーの絵こそ、より「心の真実」に適う姿のような気がします。

そして、Hαフィルターを用いた最近の太陽写真は、再びキルヒャーの絵に接近してるようでもあります。


人が純粋な研究目的にとどまらず、こういう画像をついつい撮りたくなるのは、やっぱり上のような理由が伏在しているからだ…と睨んでいます。

チープな華やかさ…セロハンスライドの世界2015年01月25日 17時11分16秒

地球より重く 鴻毛より軽き 命かな
こういう折に記事を書くべきかどうか悩みますが、書きます。

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例によって時代は曖昧ですが、1920~30年頃のセロハンスライドを買いました(昨日の記事では、セロハンスライドを1930年代と書きましたが、このセットは絵的にもう少し古い気がします)。

理科教育用に作られたもので、電気とか、気象とか、12枚1セットでいろいろなテーマを取り上げているのですが、今回はとりあえず天文をテーマにしたセットを載せます。


上の写真で、絵柄がしわしわになっているのが見えますが、これは絵が直接ガラス面に載っているのではなく、セロハンに刷ったものをガラスにはさんであるからです。セロハン自体は一色刷りで、おそらくそこに合羽刷り(ステンシル)で色を塗ったものと思います。


今回まとめてこれらのスライドを買ったのは、端的に言って安かったからで、送料の方がむしろ高くつきました。この手のスライドは、おそらくスライドのコレクターからは、あまり重視されていないのでしょう。


「Loi du carré 二乗の法則」。
光源からの距離と明るさの関係を示す図です。
家族に背を向ける右端の暗い少年は、何だか「禁書」を読んでいるような背徳感があって、好感度大。

それにしても、この味わいを何と表現すればいいのでしょう?
かすれた印刷、安っぽい色使いが、一種「チープな華やかさ」を醸し出しており、まるで駄菓子屋の店先のようです。モノがセロハンだけに、いっそうお菓子めいたエフェメラ感があって、そこに懐かしい魅力があります。


日食の説明図。


「日食の恐怖」。
天文の話題が、にわかに歴史的場面に転換し、かつオリエンタリズムが混入するあたりに、フランスの国柄と時代性を感じます。


「地球照」。地球からの照り返しによって、月の黒い影の部分が、ボンヤリ明るく見える現象です。これまたオリエンタリズムが濃厚な絵柄。


月の満ち欠け。上は満月、下は新月。
藤城清治の影絵芝居めいた、素朴でお伽チックな絵が良い感じ。



ニュートンはもちろんフランスでも尊敬の対象です。


等速直線運動しながら落下する砲弾の軌跡。


その月への応用。「Chute de la Lune 月の落下」。

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子供達の横顔を、ゆらゆら照らす幻灯の明かり。
先生のくぐもった声。
つかの間の科学のファンタスマゴリア。

太陽のありがたさ2015年01月08日 06時38分55秒

冬至を過ぎて、日脚が伸びてきました。
ただし、日没時刻は毎日確実に遅くなりつつあるのに、日の出の時刻の方は、ほとんど変化がありません。しかも日の出自体、今が1年でいちばん遅い時期です。

日の出が遅くて困るのは、ブログの写真がうまく撮れないこと。
できれば朝の光と時間を有効活用して、ササッと撮りたいのですが、今はちょっと無理です。そんなわけで、昨日の画像も妙に暗い感じになりました。

でも、記事をアップした後で、辛うじて撮れた写真があるので、比較の意味で載せておきます。自然の光で自然な発色が得られるのは当たり前かもしれませんが、やっぱりありがたいものです。


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あとひと月もすると、毎日ぐんぐん日の出が早くなって、名実ともに一陽来復の気分がみなぎることでしょう。カレンダーをめくったら、今年の立春は2月4日だそうです。


【付記】 日の出と日の入りの時刻変化が不等である理由を、ゆうべ寝床の中で考えたのですが、よく分かりませんでした。こういう時こそ三球儀の出番でしょうか。

パラドックス・オーラリー(3)2014年11月30日 11時44分52秒

先ほどS.Uさんからコメント欄で、サロス周期がこのオーラリーで検証できるのでは?とご提案いただきました。

サロス周期というのは、昔から知られている日食周期で、時間にすれば18年と10日ちょっと。すなわち、ある日・ある場所で日食が見られたとすると、それから約18年後に、ほとんど同じ欠け具合、同じ継続時間の日食が見られるという観測事実を指します(ただし日食が見られる場所は変ります)。
これは太陽・地球・月の位置関係が、この周期で同一になることの反映で、だったら、このパラドックス・オーラリーを18回まわしてやれば、同じ表示が現れるのでは…というのがコメントのご趣旨でした。

で、さっそくやってみたのが、下の写真です。


左はX年1月1日、右はX+18年1月12日の表示。
予想通り、だいたい同じになっていますね。

微妙にずれているのは、写真の角度の問題もありますが、天体現象を単純なメカニズムでシミュレートすることの限界も示しています。このオーラリーは、適当なギヤ比を設定することで、天体の運動を再現しているわけですが、現実に製作可能な歯数は限られるので、そこに誤差が生じるのは避けられません。まあ、この装置は計算用ではなく、デモンストレーション用のものですから、この程度の再現性で十分なのでしょう。

ちなみに↓はX+5年1月1日、↓↓はX+10年1月1日の表示です。



爽やかな星空、爽やかな日食2014年05月30日 06時54分24秒

エライ目にあいました。
メールソフトがうまく動かないなら、データのバックアップを取って、アンインストール→再インストールで楽勝…と思ったのですが、そのための作業がいちいち難渋して、万策尽きました。

しかし、XPからwindows8に乗り換えて以来、とんとご無沙汰だった「システムの復元」にふと思いが至りました。さっそく試みると、その過程でCドライブ上にデータの破損箇所があることが判明。どうやら、不調の根本原因はそれだったようです。その修復もした上で、システムを復元したところ無事復調。杖の一振りで万事もとに戻せる魔法使いになった気分です。

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さて、前々回のつづき。
天文古書に関して、美しい本や愛らしい本はいろいろ思い浮かびますが、「爽やかな本」となると、すぐには出てきません。でも、下の本はまさにそう呼ぶのがふさわしい気がします。


H. J. E.Beth
  Van Zon Maan en Sterren 『太陽・月・星』
  Almero., W.HIlarius Wzn. ca. 1930.
  16mo, 38p.

ちょうど日本の新書版サイズの、表紙からして実に可愛らしい本。


オランダ語なので内容は想像するしかありませんが、この本に爽やかな印象を与えているのは、その明るい色使いです。


かつて、これほど爽やかな日食の光景があったでしょうか。
もちろんこの画工は日食をじかに見たことがなかったはずですが、作者もこの絵にあえて文句を付けなかったところを見ると、この絵が気に入っていたのでしょう。
あくまでも青い空に、白いコロナをまとった黒い太陽。緑は鮮やかに濃く、辺りは光にあふれ、静かで穏やかで…。




星図も、月の満ち欠けも、妙にきっぱりとした色使いで、そこにはおよそ迷いというものが感じられません。


草原の上でパッとはじける火球。


淡い菫色の空を照らしだす、この黄道光の絵も実に爽やかな印象です。

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この本が描くのは一切の苦しみがない世界であり、これは一種の浄土絵なのかもしれません。

謎の日食絵葉書、その謎は解けた!2013年04月21日 05時47分42秒

昨日の絵葉書について、コメント欄で推理をお寄せいただいた皆さん、どうもありがとうございました。ついに謎が解けました。といっても、今回は全面的に他力本願です。このブログでもときどき話題にする、天文学史のメーリングリストに質問を投げたら、何人かの方が丁寧に教えてくれました。

実は、私は入り口の部分から間違えていて、この「 total eclipse 」は、皆既日食ではなく、皆既月食の意味でした。これは盲点。で、結論から言うと、この絵葉書は一種の艶笑カードで、ここでいう「月」とはズバリ「お尻」のこと。つまり、英語の moon には「お尻」の意味(婉曲表現)があり、さらに動詞で「ふざけて他人に尻を見せる」というスラングにもなるそうです。

(大殿筋を中心とする尻の構造と月)

右側の女性に注目すると、身体をかがめてストッキングをチラ見せしている彼女のポーズは、当時の物差しに従えば、お尻を誇示する扇情的なそれであり、その「月」が服に隠れて見えない状態を指して「皆既月食」と洒落てみた…ということのようです。
なるほど、7年越しの謎も、解けてみればあっけないものです。でも、スッキリしました。

天文学というお堅い学問を、こういう下ネタに使って、笑いをとったところが、この絵葉書の手柄なのでしょう。裏返せば、天文学とは、そういう俗な笑いの対極にあるものという一般の理解が前提としてあり(今でもたぶんそうでしょう)、だからこそ価値の転倒(=おちょくり)による可笑しみが、そこに生まれるのだと思います。


補足】 
 あまり話をそっちに持って行っても何ですし、メーリングリスト諸氏もそこまではおっしゃいませんでしたが、実は「astronomy」は、「ass(尻)-tronomy」を利かせているのかも。

【補足2】
 そういえば、ass…もとい astronomer のウィリアム・ハーシェルが発見した天王星。原語の「Uranus」は、英語式発音だと「your anus」に聞こえるというのは有名な話。
 なんだか、話がそっちに行ってしまい恐縮ですが、思えば足穂氏も大のお尻好きでしたし、ここはひとつ野尻抱影翁と、輝星シリウスの名に免じてどうぞお許しください。


二度あることは三度ある…いよいよ深まる日食絵葉書の謎2013年04月20日 07時28分00秒

継続は力なり。
しつこく天文古玩的な品を買い、しつこくブログを続けていると、いろいろ「発見」があるものです。まあ、あまり世間の役には立たない発見ですが。

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まずは、下の記事をお読みください。今から3年前の記事です。

日食絵葉書、解けた謎と残る謎
 http://mononoke.asablo.jp/blog/2010/07/02/5196979

日食をモチーフにした謎の絵ハガキを取り上げた内容で、上の記事自体、さらに4年前の記事をフォローしています。今回はさらにそのフォロー。(本当にしつこいですね。しかも今見たら、前回も「継続は力なり」とか書いていて、まったく成長がないというか、語彙が乏しいというか…)

(第1の絵葉書、ブリッジトン)

(第2の絵葉書、デトロイト)

さらに今回見つけた第3の絵葉書は、シカゴ生まれです。



前2者は未使用の絵葉書でしたが、今回は使用済みなので、ようやく発行年の手がかりが得られました。即ちスタンプによれば、この絵葉書は1914年4月に投函されています。当初想像したよりもだいぶ古いものでした。


では、シカゴで皆既日食が見られたのはいつかな?…と、前回もリンクを張ったNASAの日食地図(http://eclipse.gsfc.nasa.gov/SEmap/SEmapNA/TSENorAm1901.gif)を参照したのですが、1914年はおろか、20世紀前半にシカゴで皆既日食が見られた事実はないようです。あれれ?

すると、この絵葉書は最初から日食とは無関係だったのか…?
ひょっとしたら、ここに描かれているような、日食と女性の取り合わせは、当時の人にとって自明な、何らかのジョークや仄めかしに関連しているのかも…?

例によって、事情をご存知の方からのご教示をお待ちします。

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一般的な話として、この手の絵葉書は「pennant postcard」と呼ばれることを、その後知りました。

検索した情報を切り張りすると、これは町や村の名前をペナント内に刷り込んだ、一種の「ご当地カード」で、第一次大戦の前あたり(1910年前後)にアメリカで特異的に流行ったものだそうです。中には、「felt pennant postcard」と言って、ペナントの形に切ったフェルトに地名をプリントし、それを厚紙に貼ったタイプもある由。

「ご当地カード」といっても、必ずしも各地のオリジナル・デザインではなく、多くの場合は、業者が用意した出来合いのデザインから適当なのを選んで発注をかけたそうで、この日食絵葉書のように、同じデザインのカードがあちこちにあるのはそのためです。
その機能、つまりどういう意図で、こういう絵葉書がやり取りされたのかは不明ですが、当時のアメリカでは、コミュニティ意識が非常に高揚していたのかもしれません(想像です)。

…というような歴史的背景を知ってみても、シカゴやデトロイトの衆が、いったいどんな思いを託して、こんな絵葉書を作ったのかは、依然謎。